夜毎の訪問者。
マラケシュでは同じ部屋に三泊しましたが、三泊とも夕方中庭から一羽の小鳥が飛び込み、翌朝空が白みはじめると、「外に出して出して!」と囀るのでした。 明け方のアザーン、「アッラーは偉大なり、祈りは眠りにまさる!」で目を覚ますようでもありました。
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真黒な瞳がかわいらしいなあ。 残念ながらいろいろと好みに合わなかったマラケシュですが、小鳥の声はとても繊細できれいなように感じました。
…あとでわかった、イエホオジロ(Emberiza sahari)というようです。 たぶんだれもいじめないから、こんなに人馴れしているのでしょうね。
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朝9時。マラケシュっ子のガイドさん、アディル Adil 氏がトヨタの四駆で迎えに来てくれました。
いつものように血圧が上がらず、内心いやいや出発しましたが、小一時間で緑豊かなアトラス山中へ。 あちこちに咲き乱れるアマポーラを見ると、急に元気が出てきます。
旅行前、たくさんの旅行社に問い合わせ、いちばん返答が早く、かつ丁寧だったのがこのアディルさんです。 リマからの質問メールに、いつもすかさず、時差すら感じさせずに回答があるので、たぶん宿六の同類…と思っていましたが、会ってみると想像通り、ブラックベリーにぶらさがって生きている人でした〜
メールの英文は、ときどき語尾がフランス語化していてお茶目ですが、話し言葉のほうは、日本人の私にもわかりやすいはっきりした英語です。
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マラケシュを離れる前に見かけた看板。 何が書いてあるのか皆目わからないけど、美しい文字ですね。
アラビア語は、旅の前にアルファベットだけ覚えようとして挫折しましたが、いま浮気中の言語が大方わかるようになったら、次はぜひ読み書き用の正則アラビア語を齧ってみたいです。 少しでも知れば、スペイン語がおもしろくなりそうだからです。
先日堀田善衛さんの古いエッセイを見ていたら、「七十歳になったので何か新しいことをと思い、ラテン語の独習を始めた」という一文に出会い、ちょっと張りきってます。
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アトラスの峠越えの道。 「峠は標高二千メートル以上ありますけど、心配ありませんからね、ふつうにしていれば大丈夫です!」とアディルさん。 「四、五千メートルまでならなんとかなります、慣れてますから」…な〜んて憎たらしいことは言わないでおきました。
そこはそれ天下のアトラス山脈越えですから、起伏は大きく絶景続き、なのですが、アンデスと比べてしまうと正直申して驚くほどのことはありません。すっかり絶景ボケしています、私たちは…
むかし、スイス在住の叔母が小淵沢の家に来たとき、「日本アルプス」などには目もくれようとせず、両親ががっかりしたのを急に思い出しました。
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冬の峠越えはたいへんだそうですが、今の季節(五月)は初夏らしい風景の中、すいすいと行くことができます。そのかわり、たっぷりと雪の積もった美しい風景は見られず、ざんねんでしたけれど。
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pacollamaさーん、モロッコもしましまだらけです!
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峠越えのあと、しばらくガタガタ道を走り、お昼にTelouetのカスバに到着。
カスバとは「要塞化された家」の意だそうです。 ふと、冠詞つきのカスバ、アル・カスバ al-kasba→スペイン語のアルカサバ(alcazaba、砦)、ということに思い当たり、なんで今まで気づかなかったのか、それがへんにおかしくて… ネイティブのはずの宿六も一瞬きょとんとし、それから膝を打っておりました。
ここはマラケシュの有力なパシャ、El-Glaoui 一族が所有していたカスバのひとつだそうです。 国王に背き、フランス側に取り入ったEl-Glaoui 一族は、1956年に追放の憂き目に遭い、以来ここはほとんど修理もされず、崩壊するにまかされているとのこと。
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中に入るとひやっとします。 一階はこんなふうに飾りもなく、あちこち屋根も落ちて無残な状態です。
(モロッコに来てから長身の男性をよく見かけますが、共通してみなさんわりと腰部が大きく、その腰から上を前にやや倒し気味に、どこか駱駝めいたゆったりした歩き方をするようにお見受けしました。 うまく説明できませんが…)
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二階に上がると雰囲気はがらりと変わり、ミニ・アランブラとでもいうように、隅から隅まで飾り立てられています。 趣味が良いとは言いかねますが、壁のタイルや蜂の巣のような石膏飾り、そして木造りの天井に至るまで贅がこらされており、たしかにみごとです。 それが階下の荒廃ぶりと引き立て合って、はかない悲しい夢のような効果を生んでいます。
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今ではただ空しく廃墟の壁をいろどる、華やかな織り布。
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上階から見渡す Telouet の集落の佇まい。
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改めて屋上から眺めると、さきほどの豪華な部屋部屋の存在が信じられないほどの荒廃ぶりです。
…ここはさぞや、いろいろ「出る」のでしょうね。 El-Glaoui一族に恨みを持つ人々の思いや、のちにモロッコを追われた一族の思いや、そういったあれこれが土壁のあいだに今もしみついているにちがいありません。夜には近づきたくないですね。
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鋭い声を響かせながら、鷹が飛んでゆきます。 アンデスもアトラスも、鷹が似合う、というのは共通しています。
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半壊のカスバの上に、立派なコウノトリの巣を発見。
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親鳥と二羽の雛が見えます。
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矢狭間らしきものもあり、たしかにこれは要塞です。
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羊のBocanegraちゃん。
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お昼は、近くの小屋掛け食堂で。 すでにおなじみのモロカンサラダですが、ここのはペルー料理風にごはんのまわりに盛り付けられており、宿六のテンション急上昇。しかもジャガイモ入りですから。アンデスの血が騒ぐ騒ぐ。
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それから、鶏、いちじく、プルーン、茹で卵のタジン。 干し果物をのければ、ほとんど完璧にペルーのアヒ・デ・ガジーナの味です(いえ、アヒ・デ・ガジーナがこの料理に似ている、と言うべきね)
宿六は年間365、6日は機嫌の良い人ですが、このときはもう喉をゴロゴロ鳴らさんばかりでした。
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さいごに瓜めいたメロンとオレンジ。
冷たい甘さを味わいながら、ぼんやり窓外を眺めていると、一羽のコウノトリがなにか大きなものをぶらさげ(どこかに配達する赤ん坊だったのかも…)、目の前をばっさばっさと飛んでいったのですが、その姿のあまりの大きさ、異様さに茫然としてしまい、写真を撮り損ねました。ざんね〜ん!
翼竜を見てしまったかのような、奇妙な感覚が胸のあたりに残りました。
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家々の外壁には、小さな穴がいくつもあいていて、そこに雀が巣をかけています。 私の鳥好きに気づいて、さかんに冗談のタネにしはじめたアディル氏、「このへんの人々は、こうして小鳥のために、わざわざ壁に穴をあけている……わけじゃないです」。
強風が吹く季節もあるので、土壁が倒れないようあらかじめ穴をあけておく、のだそうですが、ちょっと腑に落ちないなあ…。
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壁穴に住む雀夫妻。こちらはお父さん。
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そしてこちらはお母さん。 雛のために夫婦交代でせっせと餌を運んでいました。
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雀のお宅訪問。お父さん眉をしかめて警戒中。
土の色がいいですね。絵の具や壁塗りに使えそう。 …あっ、だからマラケシュの壁は、ぜんぶこの土の色なのか。 (少し削って持ってくればよかった…)
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アトラスの斜面をどんどん下っていきます。
川沿いにだけ緑が広がり、まわりは乾いた岩山、という風景は、ペルーの海岸部にほんとうによく似ています。ただこちらはオリーブやオレンジが多いので、同じ緑といっても、色合いには微妙な違いがあります。
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牧草地に咲く、紫と黄の花。なんと鮮やかな。
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外で畑仕事をしているのは、ほとんど女性ばかりです。アンデスみたいだなあ… 女性たちは、この暑熱にほっかむりで、あつくないのかな。
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川沿いにだけ伸びる細い緑地を示し、アディル氏が嬉しそうに、「まるで緑の蛇のようでしょ?」と言います。 その上家々は日干し煉瓦ですから、ますますもってペルーっぽいのですが、村ごとにモスクの塔がたかだかと聳えているところには、さすがに異国情緒があります。
スペイン人のお供で、植民地時代のリマにやってきたベルベルの女性たちは、「世界のどこまで行っても、意外に風景って同じようなものなのね」なんて思ったかもしれませんね。
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さてお次は、映画好きの聖地になっているらしい、AIT BENHADDOUのカスバに到着。 世界遺産だそうですが、そのへんはわたくしは興味なし。
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ここは村落としてはもはや機能しておらず、今では観光で数家族のみが生計を立てているようです。 内部を見せてくれる家もありますが、過去の暮らしの標本にすぎず、ただ物悲しいばかり。
修理に手間ひまのかかるカスバも、こういう収入があればこそ維持できている、ということなのでしょうけれど。 とはいえ、ちょっと映画用に直しすぎ、作りすぎなのでは、という疑いもなきにしもあらず。
しかも数々のへんな映画のせいで、今にもカスバのうしろからイナゴの黒雲が湧き出したり、敵勢が狭間から矢を射かけて来たり、砂嵐と共に疫病が襲いかかってきたり…するのでは、みたいな妙な気分になってきます。映画村ですね、ここは。
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カスバの下のほうは、大きな石が泥でしっかり固めてありますが、上部には藁が混ぜてあるようです。 たぶん軽くするためでしょう。ペルーのキンチャと同じですね。
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カスバの猫。 代々カスバで暮らすうちに、保護色であるカスバの土色を身につけたのか、それとも土埃にまみれているだけでしょうか。
この名優然とした猫さんに会っただけでも、まあ拾いものでしたが、ここは別に来なくっても良かったなあ。こういう死んだ村をいくつ訪ねても、私には毒にも薬にもならないと思うので。 (ティティカカ湖畔の崩れ落ちた教会堂のように、「正しく死んでいった場所」というのは、想像力をかきたててくれますが…)
かわりにもっと鄙びたカスバに案内してもらえば良かったです。でもカスバの色だけは、しっかり吸収してきました。
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川の色もカスバ色。 今、寒いリマでこの写真を見ると、無性にココアが飲みたくなりますが、このときは喉の渇きが強く、ひたすら水ばかりほしかったです。
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空気が乾燥しているせいでしょうか、どこの雑貨店でも、ミネラルウォーターが山積みです。 緑豊かな谷間をドライブしていても、はるか南方に広がっているはずの沙漠の存在を、なんとなーく感じます。
下のマギーの広告は、「魔法のひとふり」というところ?
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観光ルートに従って、ダデス谷 Vallee du Dades を進んでゆきます。 カスバがあちこちにありますが、中には鉄筋コンクリートの豪邸やホテルもあって、どれが歴史あるものかは遠目にはよくわかりません。 それでも色彩が統一されているのはいいですね。ペルーと日本は、ごちゃごちゃと色を使いすぎ。
やがて薔薇の谷 Vallee des Roses という表示が出てきます。 時は五月、香料にする薔薇の季節なので、車窓から流れ込む風も、ほんとうに薔薇の香りです。 千年も前に、メッカへの巡礼者が持ち帰ったダマスク・ローズが、よくこの地に根づいて今にいたる、のだとか。
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名物・薔薇水の店に寄ります。
アディルさんも、いつもここでお母さんのために、薔薇水を買って行くそうです。 休む前に、薔薇水をコットンに含ませ、まぶたの上にのせると疲れがとれる、と教えてもらったので、私も少し買ってみます。
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小さな店内は、ありとあらゆる薔薇(色)製品で埋め尽くされています。 でも人工香料のものも多そうなので、このへんは見るだけにしておきましょう…
マラケシュで買い物するのとは大ちがいで、ここでは妙な圧迫感を感じることもなく、ほっとします。 本当はマラケシュでも、初日は土地っ子のガイドさんと歩くべきだったのかも。 縁がなかったのだから、今さらいいのですが、ちょっとだけ後悔。
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こういった化粧品の妖しさは期待通りで、嬉しくなってしまいます。 右上の箱は、「一皮むけたように色白になるクリーム」かな。説得力あるパッケージだなあ。
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乾かした薔薇のつぼみが、ジャガイモみたいな大袋入りで、店頭にどーん!と置いてあります。いいですねえ。 たいへん良い香りで、つぼみの形も美しいので、少し袋につめてもらいました。
この店員さんは、アトラス山中の出身だそうです。 とても色が白く(とはいえ北ヨーロッパなどの血色が透けて見える白さではなく、底に陰りのある独特の蒼白さ)、私が漠然と想像していたベルベル人のイメージそのままです。
数日後に会うことができた彼のご家族も、みなさん同じような繊細な顔立ちでした。
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薔薇の香りでいっぱいになった車で、お宿へ向かいます。
どの町を通っても、お茶屋さんでたらたら時間をつぶしているのは、男性たちばかり。 女性はいつも、畑で屈んでいるか、大きな荷物を持って忙しそうに歩いているか、です。 これもまたアンデスと同じですね。
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…もちろん中には、忙しそうな男性もいますけど。 今はスイカの季節のようです。 心なしか、マラケシュよりも肌色の濃い人を多く見かけるようになってきました。
このときすでに夕方七時すぎ。 いつまでも明るいので、つい時刻をかんちがいしてしまいますが、道理で疲れてきたわけです。
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「薔薇の谷」には、なんちゃってカスバ風ホテルがいくつもあり、今夜はそのひとつに泊ります。 安普請のようではありますが、新しくてたいへん清潔な宿です。小窓のデザインもたいへん好み。
夕食は十時!というのを、そこをなんとか九時くらいにお願いします、ということで、それまで一休み。 気絶したように小一時間眠りました。日中暑いのが、けっこうこたえます。
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さっきアディルさんが買って下さった、摘みたての薔薇。 ダマスク・ローズの際立って甘い香りが、部屋中に漂います。 窓の外には、滔々と流れるカフェオレ色の川。
アディルさんは気前の良い人で、アボカド入りのミルクセーキやオレンジジュースを、ほうぼうでごちそうになってしまいました。
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食堂もあっさりした作りですが、ほどよい異国情緒があって参考になります。 壁を赤みの強いテラコッタと乳白色で塗り分けるのは、それだけで田舎風になるので、今のアパートでも試したいな。
またこういう壁ぎわのソファ、いかにもアラビアめいているので、作ってみたいです。 ただ背もたれがないと、座り心地はよくないので、なにか工夫が必要ですね。
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さいしょはスープのハリラ、 Al-harira トマトやいろいろな野菜の味のする、うっすらとろみをつけたスープで、こういう乾いた気候には実にぴったりです。
薬味入れには、必ずお塩とクミンが入っており、アディルさんと宿六はなんにでもクミンをふりかけます。 二人ともベルベル食文化の末裔、ということですね。
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それからおなじみ野菜のタジン。 お茄子やかぼちゃ、じゃがいもなどいろいろ入っていて、やはりちょっとインパクトには欠けるのだけど、普通においしかったです。 私はそろそろ唐辛子が恋しいのですけれど…
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さいごに緑色のメロンとバナナ。
なんでわざわざ緑色と書いたかといいますと、リマではメロンといえばオレンジ色なので。 日本のうす緑のメロンは、懐かしい味・上位五番めくらいには入るので、ちょっと期待しましたが、味はただの瓜でした。それはそれでおいしかったですけど。
アディルさんは「4X4CAMEL」(四駆駱駝)という社名でガイド業をなさっているので、ペルーのラクダ、ことリャマの模様入り毛糸帽子を進呈。冬にアトラスで使えるでしょうから。
それで日本語で「ありがとう」は何と言うか、という話になり、なんでも「ありがとう」は「アレンガトー!」(ベルベルの言葉とフランス語の組み合わせで「お菓子頂戴」の意)と聞こえるとか。 それがホテルの人にも大いにウケて、翌日別れるまで何度も何度も、「アリガトアリガト、アレンガト!」と言ってもらいました。
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きょうの走行距離は、三百数十キロ。 明日はまたサハラ沙漠の端っこまで大移動なので、早めに休もうと思ったのですが…
部屋に行こうとしたところで、「お茶が入りました〜」と呼びもどされました。 せっかくなので、急いで飲んで部屋に帰ろうとしていると…
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スペイン語がたいそう上手なお兄さんが、「ちょっと音楽などいかが?」とたずねます。 「もう休みますので」と返事すると、それはそれは世にも悲しそうな顔をされてしまい、「では一,二曲だけ…」とつぶやくと、嬉しそうにこの三人が出てみえました。
演奏家たちはたちまち盛り上がり、何曲も披露してくれます、心身がとろ〜んとなるような、催眠的な打楽器の演奏です。 そういうアフリカらしい音楽のほか、サービスなのかスペイン語の奇妙な歌(「海辺へ行こう、海辺へ行こう、僕は海辺が好き、僕は君が好き…」とえんえんと続く謎の歌)もうたってくれました。
「運転手は早く寝ます」と早々に引きあげたアディルさんも、降りてきてしばらく聞きほれていました。
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いつのまにか、座敷わらしのように、もうひとり音楽家が増えています… 右はじの立派な男性は、この近所で農業をなさっているそうです
演奏家たちは陶然としたようすで、さらにさらに盛り上がっていきます。 たしかにあんなリズムが叩き出せたら、さぞ楽しかろうと思います。 で、あなたたちも何か歌え、とか、いっしょに踊れ、とかいうことにもなっていきます。
こういうとき本当に、芸がないのが困ります…… 日本の歌は、荒城の月とかね(笑)、とっさにはひどくノリのわるいのしか思いだせないしねえ。
この宿の人たちは、観光地らしい底の見えすいたお愛想ではなく、いつも堂々と胸を張って、さっぱりと楽しそうに親切にしてくださって、居心地が良かったです。 もう一、二泊して、のんびり暮らしぶりのことなど伺ってみたかったです。
しかしすでに深夜11時。 そろそろ体力も限界、でも観客は私たちふたりだけだし…と悩み始めたころ、白人さん夫妻が到着。 幸い彼らが、すぐ音楽に合わせて踊り始めたので、あとはおまかせして抜け出します。
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部屋の洗面台の明かりは、裸電球に籠がひっかけてあるだけですが、ちょっと良い考え。 蛍光灯やLEDじゃあ、まちがっても出せない効果ですね。
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シャワー室に入ると、あら〜、日本的なすのこ! 懐かしい!
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休む前の室温と湿度は、こんなでした。(来がけにマドリードのMUJIで買った温度計) かなり冷え冷えと感じます。 暑いほうの心配しかして来なかったので、ありったけ着込んで、震えながら横になります。
階下からは遅くまで、歯切れの良い太鼓の音色が聞こえておりました。 やっと、楽しく浮かれ歩く観光客のペースを、つかめたような気がします。(旅はつづく)
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眩しい朝。 「朝食はテラスか食堂か」と問われ、ちらりと外を見て、まっすぐ食堂へ。 こういうとき、迷わず日向で食べられるような人に、来世はなりたい!!
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揚げパン、クレープ風のパン、白いパン。オリーブ二種にオレンジュジュース。 あとから卵も出てきて、なんとなく心楽しい朝食。
うつわの濃緑と、食べものの黄色の組み合わせがいいですね。
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夜のあいだに大雨が降ったそうです。まったく気づきませんでした。 向かいのDades川がすっかり増水しています。
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川を渡って遊牧民のテントを訪ねる、という今日の予定は、ざんねんながらお流れに。 通学の子供たちも、濁流をこわごわ見ながら橋を渡ってゆきます。
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立ち去りぎわが感じ良いホテルって、なかなかありませんが、ここは宿屋式に見送ってくれます。
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やはり男性たちは、朝っぱらからのんびりとお茶。 その前を用ありげな女性たちが、薔薇色の衣装で歩いてゆきます。 マラケシュ風のモダンな服装の女性は、ほとんど見かけなくなりました。
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車窓から失礼! ロバ・ラバはどこの国でもたいへんですね。
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たいていの建物が、さんご色や鮭色、オールドローズの濃淡と、白の組み合わせです。 (リマもせめて家々の色を統一すれば、それだけでだいぶすっきり見えるでしょうに…)
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香料用の薔薇が咲き乱れているところで、しばらく車をとめてもらいました。 麦畑のまわりの生垣が、すべてダマスク・ローズです、なんと贅沢な。
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雨のあとの澄んだ空気の中で、香り立っています。 やはりダマスク・ローズの複雑な香りは、格別です。
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青麦のあいだには、ちらほらとアマポーラの花。
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賑やかに囀る黄色い小鳥、発見。 カナリア(の野生種)にそっくり!ですが、ヨーロッパセリン(Serinus serinus)のようです。
ついでに調べて、マラケシュで夕方になると部屋に入ってきた小鳥も、名前がわかりました。 イエホオジロ(Emberiza sahari)らしいです。
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薔薇をつんで、香りを楽しむ女性。
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麦畑の向こうをゆく女性。 大きな風呂敷とほっかむり姿に、ふとティティカカ湖のタキーレ島を思い出します。
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この子は手に持った薔薇を、あとで上のお母さんのところへ持っていきました。 こういうなんでもない、でも美しいひとときは、きっと大人になってからも、薔薇の香りとともに何度も思い起こすのでしょうね。
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ドライブ再開後、風景はめまぐるしくかわります。 ところどころ灌木だけが生える沙漠をしばらく走ったあと、緑が見えてくるとほっとします。 遠目にも、独特の銀灰色のオリーブが多いのがわかります。
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オレンジジュース・ストップ。 アディルさんは必ず、タバコとエスプレッソ、新聞、ブラックベリーの四点セット。
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新聞の星占い欄。(イスラム圏でもかまわないのかな、星占いって) 双子座(私たち)は、「仕事運は上々、ただしねたみに注意」とあるそうで、まさにいまソレで会社辞めようとしてます〜(泣)、という話になり、「いやこういうの、けっこう当たるんですよね」と真剣な顔のアディルさん。
で、ご本人はというと、「仕事にかまけて家庭がほったらかしで、奥さんに不満あり」とのご託宣に苦笑い。 「ガイド業は、忙しい時は出ずっぱり、でも予約がないときは、一カ月くらい平気でなんにもありません。 その繰り返しなので、大好きな仕事だけれど家庭とのバランスはなかなかむずかしいですね」
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カフェからのスナップ。
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これもカフェから。 人々の顔立ちに、アフリカ→スペイン→米大陸へのつながりを感じます。
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赤っぽい岩山と、それと同じ色の家々。あしもとに広がるナツメヤシの林。
…という、長いこと漠然と想像していた北アフリカのイメージそのまま!の情景が見えてきました。感動。 Tinerhirの街のあたりです。 この断崖からは、いかにも良い水が湧き出してきそうですね。
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ナツメヤシを植えたオアシスには、近くの川や泉から、水路で縦横に水が引かれているそうです。 ナツメヤシが作る日陰を利用して、果樹園や野菜畑も作られています。
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このへんの観光スポット、トドラ渓谷 Gorges du Todra
トドラ川の両側にそびえる絶壁が見どころらしいのですが… うーん、絶壁ならアンデスにいくらでもあるので… 数千メートル程度の落差なら、今さら驚けません…
でも「すごいでしょ?」と瞳をきらきらさせるガイドさんに申し訳ないので、写真を撮るふりをしながらちょっと歩きました。 風が吹きぬけて気持ちの良いところではありましたが、ここのかわりに、オアシスの畑を少し見学すればよかったなあ。
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アンデスの絶壁の、ほんの一例。(Huascaran国立公園で) …こんなことで張り合ってどうすんのよ?なんですけど〜(*^_^*) 起伏の激しさでは、めったな国には負けないぞ、ペルーは。
ペルーから旅行に出ると、妙にペルーの肩をもって、つまらぬことで張り合いたくなる自分の心理が、不思議でなりません。 ふだんリマにいるときは、ボロボロに言ってるくせにね。
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きれいな水が流れるトドラ川で、宿六がカメラでなにかを一心不乱に狙っていました。 あとから見たら、川に落ちたパンに、大口あけて食らいつく雀でした。
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サハラに向かう前に腹ごしらえ。 レストランのこのおじさん、えらくスペイン語が達者で、おかげで大いになごみました。 写真を撮るとすかさず、100ディルハム!プロピーナ!とか叫ぶ、楽しい人です。 リマに来たとしても、すぐ仕事みつかりそう。
言葉ってほんと大事ですね。 今さら気づいても遅いのですが、少しフランス語やってからモロッコにくるべきでした。大反省。 数倍は楽しめたろうと思います。
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ごはんのまわりに、何種かのサラダ。 この盛りつけかた、やっぱりぜったいペルー料理に影響しています。
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これはちょっとカルチャーショックでしたわ。 前菜と主菜のあいだに出てきた、お砂糖とシナモンをまぶした極細パスタ。
あとは同じようなものばかりだったので(要はタジン、クスクス、ケバブの無限循環)、省略!
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同レストランの、なんかくれくれ猫。 山羊肉料理を食べてました… 自然界ではありえませんね。
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礫沙漠めいたところを、ずーっと行きます。
…ここはもしや、うちの近所のパンアメリカン道??
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ナツメヤシが植わった町をいくつか通ります。 なんなんでしょう、この強烈な既視感は?
イカ(ペルー南部)のどのへんかしら?という風景です。 うちから3,4時間のところを走っているような気がして、軽いホームシック(猫シック)発症。
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こちらが、モロッコの南米派出所のような、イカの風景です。
このへんを中心に、ペルーでは年にわずか200〜400トンほど、ナツメヤシの実を収穫しています。 地元以外では食べる習慣がないので、ほとんどはほったらかしの自生状態で、じっさいには4000トンくらいは収穫できるはず、と皮算用する専門家もいるようですが。
ペルーとは比較にならない規模の、ナツメヤシの実の大生産国&輸出国であるアラブ諸国は、おもしろいことに最大の輸入国でもあり(主にラマダン時期に不足するため)、にゃんとイカからも輸出しているそうです。
イカのナツメヤシの起源は、植民地時代のはじめ、イエズス会の手で持ち込まれた、ずばりモロッコ産のナツメヤシの種だとか。 ブドウ、イチジクなどといっしょに植えられたそうです。
でもたぶん、さいしょに「新大陸」でのナツメヤシ栽培の可能性に気づいたのは、スペイン人たちに連れられてきたベルベル系の農耕技術者だったのかもしれませんね。 彼らだったら、イカの沙漠を見るなり、これはいける!と思ったに違いありません、だって風景そっくりなんだもの。
ついでながら、ナツメヤシといっしょにラクダもペルーに持ち込まれたそうですが、それは早々に死に絶えてしまったそうです。(…ふと疑問、ラクダとリャマやアルパカって交配可能なんでしょうか、大きさが違いすぎるか??)
そういえば5,6年前、モロッコからペルーに寄贈されたラクダの飼育がうまくいかず、わざわざイカまでモロッコ人獣医師がやってくるという騒ぎがありましたが、その後どうなったのかな。
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この数字… 不吉な予感……
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わるい予感どおり、気温は上がり続け、そして(まあ当然とはいえ)湿度は下がり続けます。
今朝はまだ湿り気が残っていた、きのうはあんなにみずみずしかった薔薇の花環も、こんなになってしまいました。 短時間でこれだけ水が抜けるということは… 不安になって、自分の頬に手をやってみる……
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空飛ぶクイ?
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町を通りかかると、乾ききった中に、緑の涼しげな樹蔭があちこちにあります。 なんだか見おぼえのある樹形…と思ってよーく見ると、なんとわがアンデス原産のモージェではありませんか!
世界中で街路樹になっている、と聞いてはいましたが、サハラ(のすぐ手前)にも進出していたのか!
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そういえば二月(2011年)に行ったメキシコのテオティワカン遺跡も、見渡す限りモージェに征服されていました。
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テオティワカン遺跡内に点々と見える緑は、そのほとんどがモージェのようでした。 おもしろいことに、ペルーから来た木なので、メキシコでは「ピルー」と呼ばれているそうです。
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こちらは元祖アンデスのモージェ。(Chalhuanca近くで)
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…と、アメリカ大陸に意識が飛んでいた間にも、気温はどんどん上がり、湿度はどんどん下がり… もはや、リマでは絶対ありえない気温と湿度です(リマでは事実上、両生類なみの暮らしをしてますから) 冗談抜きで、目のまわりがちょっとしわっぽくなってきたみたい、パニック!
(私がこうして湿度を確認しては、真顔でせっせと水を飲むのが、乾燥慣れしたアディルさんにはたまらなくおかしかったようです。 あとでマラケシュの友人たちに、「こんな旅行者がいたよ」と身ぶりつきで説明し、みんなで楽しく大笑いしたそうです。…そんなおかしいかあ?!)
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せっかく個人の旅なので、お土産品店は希望がなければ寄りません、とのことでしたが、ぜったい行きたかったのがErfordの町の、化石工場。 存在じたい蒸発しそうになりつつ、気合を入れて立ち寄ります。
一部イタリア語化しているものの、じゅうぶんわかるスペイン語をあやつるムハンマド君が、懇切丁寧に説明してくれます。
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水をかけて、アンモナイトや親戚のオルソセラスの化石の色が、さっと鮮やかに変わるところを見せてくれるのですが、その水の蒸発の早いこと… 恐るべきです。 写真のアンモナイトも、これでもななめにざっと水をかけた直後なんです。
ムハンマド君は、十歳にもならないころ、お父さんがこの工場の事故で亡くなり、かわりにすぐ働きに出て現在にいたるそうです。 ついに学校にも行かず、スペイン語は独学で覚えたそうです。
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なかなか衝撃的だったのが、この三葉虫壁!
縦横何メートルくらいの岩板だったかしら… 掌サイズのりっぱな三葉虫が、うようよ折り重なって泳いでいます。 私、三葉虫って、せいぜい2,3センチどまりと思い込んでおりました。
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この加工場では、化石入りの石を加工して、テーブル、洗面台、トイレ!等々、いろんなものを作っています。 化石部分を彫り出して、立体的に見せているのは、ちょっと趣味わるくて笑えますけど…
細長いのがオルソセラスで、「長すぎてすぐポキっと折れるので、それに懲りて固く巻いてみたらアンモナイトになりました」というのですが、これってほんと?? いずれにしても、両名とも中身はイカ状の軟体動物だったようです。
アンモナイトがたくさん入ったテーブル(ただし立体的に彫り出してないもの!)は、ちょっとほしいかも。 海外発送可とのことなので、名刺をだいじにもらってきました。
今回はテーブルは無理ですが、暑さで気絶寸前になりつつ、小物だけはあれこれ選び出します。 そして例のベルベル商法?に否応なく引きずり込まれます。
「最初の十個は30パーセントオフで、次の二つは半値で、のこりの五つはプレゼント」 といった調子の複雑怪奇な値引きがくりひろげられ、完全にけむに巻かれてしまいました。 (要はさいしょから、少なくとも三、四倍の値がつけてあるってことなんでしょうけど)
展示室の隅には、大きな冷蔵庫があり、ミネラルウォーターが詰め込んであります。 買い物のあいだ、お客さんが暑さで卒倒しないよう、どんどん手渡す決まりになっているようです。
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戦利品のいくつか。 展示室の棚の、ばっちい紙箱の中に、宝石のような小さなアンモナイトが入っていました。 リマに帰ってから銀の枠をつけて、ペンダントにするつもりです。
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アンモナイトの殻が黄鉄鉱と置きかわっているので、日に当てると金属光を放ちます。
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人間もこんなふうに、年ふるにつれ、自分の内部にさまざまな経験が美しく結晶していくといいのですが。
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どれも微妙に違うので、選ぶのに大いに迷います。 (まわりはシナモンシュガーでも三温糖でもなく、サハラの砂です)
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あまりの美しさにぜんぶ欲しくなりますが、価格もなかなかで… もし、もうちょっとでも涼しければ、もっと散財してしまったのではないかと思います。 ある意味、暑熱に救われましたです。
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そして私の帰りを待つ虎猫は、アンモナイトの夢を見る……
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知らないほうが良かったかも。 お日さまマークも、こうなると禍々しく見えてきます。 湿度は低すぎて、解析不能です。…これって、湿度がほとんどない、ってこと?!
別れぎわ、化石工場の人たちが、氷のようなミネラルウォーターを更に三本ほど持たせてくれます。 味わい深いですねえ、つくづく沙漠のおもてなしですねえ。
ふつうただの水ってそうそうは飲めませんが、常にのどが渇いているここでは、ほんとうに甘く感じます。 それにいくら飲んでも、おなかにまったくたまらず、たちまちどこかに消えてゆきます。 おそるべき気候です。
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そのへんのお店でも、つみあげてあるのはミネラルウォーターばかり。 女性の服装もすっかり変わりました。みんな涼しそうな布で全身を覆っています。
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さていよいよ、「パリダカみたいでしょ?」とごきげんのアディルさんと、サハラ砂漠のはしっこに入ってゆくわけですが… その前に、ちょっと脇道にそれて、ペルーの沙漠を見ていただこうと思います。
ペルーで暮らしていると、沙漠や砂丘というのは、まったく珍しくなくなります。 なので最初は、サハラ見物にも特に興味はありませんでした。 わずか数日の旅程でむりをして、観光地化した沙漠の切れ端を見なくても、と思ったのです。
でも結局行って、そして見てきて良かったと思うのは、その砂の色です。 黄みを帯びたペルーの海岸沙漠とは、まるで違う色あいだったからです。
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リマの北、Playa Paraiso近くの砂丘。
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風紋の上を歩く猫。同じくリマの北、Bandurria遺跡にて。
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今度は南へ。 パンアメリカン道・南580キロ地点に、Tanakaというところがあります。 (むかし日本人船乗りの田中さんがここに漂着したからである、と聞きましたが、ほんとかどうかは不明)
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このTanakaさん近辺では、パンアメリカン・ハイウェイがいつも半ば砂に飲まれています。 (右手が太平洋、左がアンデス側です)
だれも海からの砂をどけないのかしら、ひどいなあと思ったのですが、下のGoogleの写真を見て納得。 山側に、ずーっと砂丘が連なっているのです。
これじゃあいくら掃いても、ムダですよね。見渡す限りの砂海ですものね。 むしろ、こんな流砂の中でよく道路工事ができたなあと、そちらのほうが驚きです。
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パンアメリカン道のアスファルトの上に、小さな砂丘ができちゃっております。 南の海の(つまり、より冷たい海の)こわいような青さと、砂丘の丁子色の対比がきれいです。
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これから向かうサハラのきれはしは、Erg Chebbi(Chebbi砂海)という、たいへん有名な観光地。
22キロ×5キロほどにわたり、砂丘が連なっているそうですが、この田中砂海(仮称)も、google上で見る限り、17キロ×7キロくらいはありそうですから、なかなか大したものです。
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お国自慢はほどほどにして、モロッコに戻ります。
アディルさんによると、このところの大雨で、砂海の前にみごとな水鏡ができていた、とのこと。 まだ残っているかもしれないので、まずそちらにまわってみます。
残念なことに、すでにほとんど干上がってしまったようですが、でも遠くに少し水が見えています。
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ひび割れた地面から、水が急激に干上がって行ったようすが、なんとなくしのばれます。 コーヒー味のバタークリームの下から、シナモンシュガーが顔をのぞかせている、という感じですね。
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ぱりぱりと音のする、ひびわれた砂地を踏んで歩いて行くと、水の残っているところに出ました! 砂丘と水鏡。なかなかおもしろい眺めです。
そしてこの砂の色! 見ていると刻々と変わっていくのですが、代赭というんでしょうか、それとも肉桂色… 夕日を浴びていっそう冴えた色に輝くと、黄櫨染とか黄丹とか、畏れ多いあたりの色名もぴったりときます。
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鴨発見!
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アカツクシガモ(赤筑紫鴨、Tadorna ferruginea)のようです。 日本にはめったに渡らない鴨らしく、もちろん米大陸にもいません。 鮮やかな茶、白、黒の、きれいな鴨です、出会えて良かった!
時期によっては、フラミンゴも来るそうです。 アンデスのより色鮮やかなアフリカのフラミンゴは、いつか自然の中で見てみたいなあ。
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いつのまにか午後7時。 日暮れが迫ってきたので、ホテルにばたばたと荷物を置いて、エルグ・チェビ観光お約束のラクダに乗りにゆきます。
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あいにく雲が多く、映画「アラビアのロレンス」式の、日向と日陰の鮮やかな対比を見ることはできませんでしたが、涼しくて私は助かりました。 もうこの時点で、じゅうぶん脱水してましたから。
風もなく、人気もなく、暑くも寒くもなく… 静かな静かな砂海をゆきます。
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ラクダの乗り心地は、思ったより揺れが少なくて楽です。 でも、少々広すぎる背中に、短い脚で必死でしがみつく格好なので、だんだん脚が痛くなってきます。 降りるとほっとします。
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ラクダ引きのモハさん(ほんとはムハンマドさんですが、モハ!と聞こえます)は、砂丘の上に毛布を敷いて、「ココデヤスム!」と日本語で私たちに命じると、どこかへすたすた行ってしまいます。 (私が歩くと、きりなく足が沈むのですが、なぜモハさんはすたすた歩けるのでしょう?)
砂丘が無数に連なっているので、すぐ姿が見えなくなってしまいます。
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モハさんの足あと。
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マラケシュのテロ事件のあとだったので、観光客はさびしいほど少なく、遠くに二組みかけただけでした。 エルグ・チェビ、ほぼ貸し切り状態です。 まさか人気の観光地で、こんな静けさを味わえるとは。
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砂はとても細かく、さらさらと冷たい水のように感じます。
沙漠の砂の主成分は石英で、赤い色は酸化鉄だそうですが、場所によってこんなにも沙漠の色が違うのは、どうしてなのかな。
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帰国後、じっくり写してみたサハラの砂。美しいものです。 ほとんどの砂粒の角がすり減っています。あのさらさらした感触もそのせいでしょうか。
行きがかり上(次回お話しします)、わりとたくさん持ち帰った砂は、いま大きなガラス壜に入れてあります。 ときどき中に手をさしいれて、ひんやりとした砂丘の感触を思いだしています。
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ややあって、ちょっと得意顔で戻ってきたモハさん。 手の中に、なにかいるのがわかりますか?
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沙漠のトカゲです!
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「これはデザートフィッシュ(沙漠の魚)、サラマンダー(火蜥蜴)」と言いながら渡してくれます。
爬虫類のサンドフィッシュ(サンドスキンク Scincus scincus)のようですね。 (サラマンダーは両生類なので違いますが、赤い色から、このへんではそう呼ばれているのかも?)
掌にのせると、うろこがとてもなめらかで、まわりの砂と同じようにひんやりしています。 まさに、砂の中を泳ぎまわるデザートフィッシュです。 つぶらな瞳は真黒ですし、このおっとり、なよなよとした姿… 非常にかわいいです。
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あまりトカゲらしからぬ、平べったい口先ですが、これも砂の中を自在に泳ぐのに役立っているそうです。 まるで無数の目がついているような、鮮やかな色彩のうろこも、まったく引っかかりがありません。 (マクロレンズ持ってくればよかったなあ。ラクダに乗るのに、まさかマクロレンズが必要になるとは…)
サンドフィッシュは、夕方になると、地面(砂面?)近くまで浮上し、もぞもぞ動きまわって虫などの餌を探すそうなので、モハさんはそこをえいっと捕まえたようです。
(特徴ある身体を活かして、サンドフィッシュがいかに「砂中を泳ぐ」か、おもしろい映像つきの記事が下記にあります) http://www.nytimes.com/2009/07/21/science/21obsand.html?hpw
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「さあもうお帰り!」 モハさんが砂をかけても、茫然自失状態で動かぬデザートフィッシュ君。
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…ああっ、自分の中に籠ってしまった。
サハラの砂色の、サハラの魚。砂中を泳ぐ、ふしぎなほどみずみずしいトカゲ。 これを見ただけでも、ここまで来た甲斐があります。…たぶん。
モハさんがふと、「サラマンダーは何もしないけど、スコーピオンはおそろしい」と言います。 子供のころは遊牧のテント暮らしで、夜テントの中で、気づかずサソリの上に横になってしまい、刺されて死ぬ思いをしたことが二度もあるそうです。ひえええ…
その後、五年も大旱魃がつづいた影響で、このへんでは放牧ができなくなり、以来産業は観光しかない由。 (というか、観光業があるだけでも、幸運なわけではありますが)
「特にお正月は、too much japaneseがやってくる」というので、噴き出してしまいました。おいおい…
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夕日が雲に隠れると、待機中のラクダたちが、「さあ帰るぞ!」とばかりに立ち上がり、勝手に歩きはじめました。 一頭は前脚を縛って、歩けないようにしてあったのですが、気にせず三本脚で帰ってゆきます。
それを見たモハさん、「もうこれでノー・ラクダになってしまったので、歩いて帰らなくちゃならない!」という古典的観光地ジョークを飛ばします。 ティティカカ湖の船でも、「ガソリンがなくなったので、漕ぐのを手伝え」とか「降りてうしろから押してくれ」とかやりますもんね、どうも世界中の観光地で、同時発生的に使われている、さぶいけど楽しい冗談というのがありますね。
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「私もうちへ帰ろう……」
とつぜん我にかえって、砂の上で数歩助走をつけると、一瞬で砂中に消えて行ったデザートフィッシュ君。 (きみ、まだここにいたの!)
かわいくて、あまり手もかからないので、日本ではペット用に安く出回っているようです。 (日本という国は本当に〜、もう呆れるくらい、ないものはないですね)
繁殖が難しいため、沙漠でとっつかまえた個体が売られているそうです。 モハさんならいいけど、くれぐれも業者さんにはつかまらないようにね。
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逃亡ラクダはすぐ取り押さえられました。 ラクダに接近するのは、大昔に行ったイスラエル以来ですが、あいかわらず愛想のない生き物ですね。
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…ラクダ科動物のかわいさ、という点では、アンデスはサハラに圧勝。 (比較に、このかわいい盛りの仔アルパカを持ち出すのは、反則か?)
別に順位つけなくていいんですけども。それにリャマやアルパカは小さすぎて、乗れないですしね。
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砂丘のすぐ前にある宿は、お湯のシャワー、冷房、プール、猫つきの、環境破壊型ホテルです。 シャワーと猫はともかく、なにも砂丘を見ながらプールに入らなくても、と思うんですけどねえ。
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礼儀正しい蟇蛙。 三つ指ついて、「おやすみなさいませ!」
とっぷりと日が暮れると、猫のほかにも、サハラの砂色をした蟇蛙(たぶんヨーロッパミドリヒキガエル?Bufo viridis)と、真黒なフンコロガシがたくさん這いだしてきました。 「沙漠は生きている」の世界です。
明朝5時に、もう一度モハさんにおつきあい願うことにしたので、あすは早起きしないとなりません。 きょうはたくさん日を浴びて、珍しいものをいろいろ見て、これはまちがいなくぐっすり眠れる、と思いながら横になったのでありました。 が…………(旅はつづく)
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