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2011年前半の「一服いかが?」



2011年2月21日(月) <エステバンさんがいるから大丈夫!
              <
さいきんの夕焼け


2011年4月7日(木) <リマでYundi Li … 稀有な経験…(-"-)

2011年4月11日(月) <お祭はつづく…

2011年4月20日(水) <リマで和菓子


2011年2月21日(月) 午後3時の室温25.7℃ 湿度55% 実にさわやかな快晴
<エステバンさんがいるから大丈夫!>


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なんなんですか、この物見櫓(ものみやぐら)は!

 …十数年のペルー暮らしで、やむなく忍耐を身につけた私ですが、ひさびさに本気で怒ったです!


 うちの隣人は、一年のほとんどを北の某大国で暮らしており、ふだんはときどき掃除の人が来るだけ。
 だからたいへん静かで、それはとてもありがたく思っています。
 しかしその隣人氏、たま〜に帰国したかと思うと、突拍子もない工事を、それも決まって超・腕のわるい職人を雇ってやりたがるという、困った癖をお持ちです。


 去年は何の相談もなしに、うちのテラスのすぐ向こうに、こんなへんなものを建ててしまいました。
 なんでもむこうのテラスに雨が降ると、それが下の階に浸水するとか。
 じゃあまず床を直せば?と思うのですが、なぜこんなムダに背の高い屋根をかけたのでしょう…高床式の倉ですかい?というほどの高さなんですよ…(泣)
 当然、雨は横から吹き込みますし、また屋根じたいひどい出来だったので、雨よけ効果はゼロ。


 で、今度はなぜか柱の間に、こうして見苦しいサッシ窓をつけてしまったのですね。
 うちから見上げると、まるで監視塔のようです。おかげでわたしゃテラスに出るたびに、牢獄の中庭で散歩する囚人気分です。


 もちろん、隣家を覗きおろすこんな窓をつけるのは違法です。
 またそうでなくても、地震や年末年始の花火でガラスが粉々に割れたら、どうするつもりでしょう。
 区役所に訴えれば、取り壊し命令を出してくれますが、その時間も惜しいので(何年かかるかわかんないですもんね)、自分でさっさと手を打つことにしました。
 つまりこちらの壁を高くして、見苦しいものを隠してしまおう、というわけです。


 ただ、レンガ壁をこれ以上高くすると危険なので、軽い合板で目隠しするほかなさそうです。予算的にもそのほうが助かります。かといって、安っぽい壁はいやです。(言いたい放題)
 …幸いそんな小むずかしい注文も、名家具職人エステバンさんになら、大船に乗った気分でお願いできるのです!



 エステバンさんは、うちじゅうの木の家具を作った人です。
 どれも堅牢な出来で、湿気の多いリマで15年経過しても、引き出しなど歪みひとつ来ていません。
 エステバンさんは腕が良いだけでなく、この上ない紳士で、勉強熱心で、そのうえ冗談話も上手で家族円満、奥さんもすごいかわいい人、と何拍子も揃っているので、結婚のとき立会人をお願いしたくらいです。


 (ふつう結婚の立会人は、「社会的に見て明らかに自分より上の立場の人」に頼むのがリマの慣習のようです。私にとって、こういう職人さんほど尊敬できる職業はないのですが、階層社会リマの常識ではちょっと珍しかったようです。

 宿六も最初は、当時の上司だったイタリア系ペルー人に頼もうと提案してきたのですが、即時却下。
 いつものように私の勘は正しく(笑)、その後まもなくそのイ○公、失礼もとい、上司は宿六の二か月分の給料を踏み倒したまま、私たちの人生から姿を消したのでした…
 いっぽうのエステバンさんとは、ずっと変わらず家族ぐるみのおつきあいが続いています)


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 さてエステバンさんの作業は順調に進み、1月末に取り付けに来て下さることになったのですが…

 テラスの鉢に巣くっていたこの鳩一家のため、工事は一週間延期となりました。
 ちょうどあと5,6日で巣立ちそうな雛がいて、その真上で工事をするのは、さすがにかわいそうだったからです。


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 で、私はその後一週間、鳩の心配で明け暮れていたのですが(ヒマだわね)、雛たちは工事前日の昼になっても、まだこうして鉢の中にででんと座って、離れようとしません。
 夕方になって急にあたふたと旅立ってゆくまで、本当に気がかりでした。


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 翌日、アパートに持ち込まれた目隠しパネルを見てびっくり、とても合板とは思われない重厚な仕上がりです。
 こういう仕事の細かさが、さすがエステバンさん。


 …ただ重厚すぎて、うちの中の狭い階段は通り抜けられないことが判明。
 やむなくアパートの階段から外に出し、えいやっと釣りあげました。(ぬかりなくロープ持参で来ていたエステバンさんはすごい)


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 長いハシゴも無理っぽかったので、ついでに釣りあげます。

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 エステバンさんご一行がテラスに落ちつき、じっくり仕事に取りかかったところで、私たちは急いで土曜の自然食品市へ。いつものように、大籠いっぱいの野菜と地鶏、地卵、花などを買ってきました。
 この買い物を全部洗ってしまうだけで、1時間くらいかかります。


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大好きなミニレタスの詰め合わせ。
これが買えた土曜日はかなり幸福。


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 はちきれんばかりの夏の野菜。

 温暖なリマ周辺では、一年じゅう露地でひととおりの野菜がとれますが、やはり夏野菜の勢いと大きさは格別。
 多少育ちすぎても、ぜんぜん大味にならないのは当地の野菜のいいところですね。


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夏は果物が多いのも嬉しいです。つい買いすぎます。

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 苺も、土曜市のおかげで堪能させてもらっています。
 スーパーWONGとかで売っている、キュウリみたいに固くて味気ない苺とはずいぶん違います。


 さいきん気に入っているのは、好きな果物をいろいろ凍らせておき、ミルク少々とステビアを入れてミキサーにかける、即席シャーベット。
 カロリーがうんと低いので、夜おそく食べても太りません。(写真はふつうのジュースですけど)


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 この日は山の良いトウモロコシがあったので、急いで茹でて、エステバンさんに進呈。

 標高2000メートルほどの畑でとれたトウモロコシなので、海辺のものとは甘みがまるで違います。
 「ひさしぶりにアンデスのみずみずしいトウモロコシを食べた!」と、ワンカーヨ出身のエステバンさんも大喜び。

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 トウモロコシといえば…

 昨年、マンタロ渓谷のミト村で頂いたカンチャ(煎りトウモロコシ用)が、ものすごくおいしかったので、うっかり褒めたら、先日なんと3キロ半も送られてきてしまいました。
 マンタロ渓谷の人って、どうしてこんなに親切なのでしょう… なんだか申し訳ないです。


 (トウモロコシといっしょに、新年に盛大に祝われたワコナーダ(2010年にユネスコ無形文化遺産に選ばれたペルーの舞踏)のDVDや、キーホルダーなども入っていました。Huacon Malvaことcalleretiroさんの分も預かってますので、そのうちお届けしますねー)

 このカンチャも、香ばしく炒って、洗面器?一杯分ほどテラスに出しておきましたが、じきに空のお皿が戻ってきました。
 アンデス出身の人は、やはりトウモロコシとジャガイモが大好きですね。とれたてをさっと茹でて、あと塩辛い白チーズとトウガラシを添えれば、それ以上はないごちそうです。


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 エステバンさんは、臨機応変に壁の補強工事などもしながら丁寧にパネルを取りつけて下さいました。
 終ったときにはとっぷりと日が暮れていました。


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 翌朝。テラスを見て大満足。

 パネルをつけると圧迫感があるかな、と心配だったのですが、かえって広い印象になったみたい。
 階下の住人たちが通した見苦しい配線類も、すべて隠れて万々歳。



 パネルの青い星が、とてもきれいです。
 スペイン趣味丸出しですけど、少しでも見た目を軽くしようと思い、飾り穴をあけてもらったんです。
 エステバンさんも、「満月の晩など、さぞきれいでしょうね」と詩的なことをおっしゃっていました。



 壁はだいぶ色がさめてしまったので、近々濃いテラコッタに塗り替える予定です。
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 できればパネルとの境目まで、壁をぜんぶ植木鉢で埋めたいのですが、水遣りは、今でもじゅうぶんたいへんですからねえ…

 スペインのアンダルシアでよくゼラニウムの水遣りに使っている、あの缶カラを先につけた長い棒…(名称不明)、どうやって作るのかなあ?


 …ついでながら隣人氏は、今日も今日とて、だれかやる気のなさそな職人さんを連れてきて、とんてんかんてん床工事をなさっておいでです。

 屋根をかけても、さらにそこに無意味な窓ガラスをつけても、やはり浸水は止まらなかったそうで、ついに床を直すことにしたそうです。

 さいしょから床を直せば、なにもうちまで巻きこんで、こんな大騒動にはならなかったでしょうにねえ。
 怪我の功名で、テラスがかえって味わい深くなったので、いいとしますけど。なんだかねえ。


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 工事が済んでほっとした日曜日の朝ごはん。
 アワイマントを、わずかなお砂糖でさっと煮くずしたのを添えた、お豆腐入りホットケーキ。
 この組み合わせは最高、猛烈においしいです。(お豆腐と卵、無糖ヨーグルトをハンドミキサーでよく混ぜてから、harina preparadaを加えて軽く混ぜ、超弱火でじっくり焼く)


 アンデス原産のアワイマントはほおずきの一種で、酸味と甘みと香りのバランスがすばらしい果物です。
 ビタミンも豊富な由。


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 土曜市のおかげで、おいしい野菜も山のように食べ続けております。

 そのおかげか、さいきん私も体重はやや低下傾向(宿六はあまり減ってませんが維持してます)。ありがたや。
 今年は20代の体重とウエスト(大した細さではないけど今よりは細かった)に戻そうと決意、あれこれ気をつけています。あと2キロ半くらいなんですが、それが難しいんですよね…

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 工事直前にテラスから巣立った雛は、よくお父さんといっしょにテラスに来ています。
 (お父さんはあいかわらず黒ずんでいます、羽根なら抜けかわるはずなのに、謎です)
 雛ちゃんはまだ口移しで食べ物をもらっているようです。


 でもお母さん鳩は、すでにテラスの別の鉢で、しっかり巣籠り中なのです。
 (先日「
リマからの絵はがき」でご紹介した、窓の植え込みに巣をかけた鳩夫妻とは別件です。
 つまり今わが家には、二組の鳩が巣くっているわけです)


 単に近所中の鳩になめられてるだけかもしれませんが、「吉兆」と思うほうが幸せなので、そうします!
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 朝市では花を買うのも楽しみです。
 いかにも「農家の庭先に咲いてたのをついでに摘んできました〜」という感じの脱力系花束で、素朴で安くて持ちがよくて、なんだか楽しいのです。一束(一本じゃないですよ)60円〜150円くらい。


 真紅のグラジオラスが好きと思ったことは、今まで一度もなかったですし、ましてや白いガーベラといっしょに飾ろうなどとは夢にも!思いつきませんでしたが、この大胆不敵な組み合わせ、リマの夏には不思議とぴたっと合います。
 一週間、洗面所がとても明るかったです。



<さいきんの夕焼け>


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 2月3日。
 金魚が群れ泳いでいるような、華やかな夕焼け。


 この夏は、例年にくらべると涼しいですね。
 日中の強烈な日射しこそふだん通りですが、いちばん暑いはずの2月でも、朝晩ひんやりして肌寒いほどです。(鳥の巣アパートのわが家は下界よりだいぶ気温が低いので、それを割り引くとしても、やっぱり涼しい夏だと思います)


 とうとう扇風機を一度も使わないまま、真夏の2月が過ぎてゆこうとしています。

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2月4日。
遠くの海もオレンジ色に染まっています。

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 2月11日。
 決まって夕方7時前に空を横切り、カヤオ空港へと向かうのは、どこから飛んでくる旅客機かな。

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同じく11日。夕焼け雲の中の飛行機。

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 2月16日。

 曇りがちの日に、ほんの一瞬染まった夕空も、なかなか風情があります。
 こんな色の空を見ると、海風の中に、チェリーブランデーがふっと香るような気がいつもします。


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 2月18日。下のほうにちらっと写っている陸橋は(よく見えないかも)、いま工事中の市電です。
 駅も目の前に建造中で、いずれ電車が行き交うようになると、このへんの風景も一転しそう。
 それが良いかわるいかはまだわかりませんが、私は駅(代官山駅)のすぐそばで育ったので、なんとなく楽しみです。

*******

 そういえば今日21日は、当「ペルー談話室」の10歳の誕生日。
 いつも私の、のんきな話におつきあい下さっているみなさま、どうもありがとうございます!


 やはり今日がお誕生日のA家のM子さんは、どんなお祝いの夕べを過ごされたでしょう?


2011年4月7日(木) 午前11時半の室温23.7℃ 湿度64% さわやかな快晴
<リマでYundi Li … 稀有な経験…(-"-)>


 ショパン弾きのYundi Li君(中国出身の名ピアニスト)がリマにやってくると知り、「ややっ、これは珍しい大物の来秘!」と喜び、昨晩いさんで聴きにいって参りました。

 すばらしい演奏でした…と言いたいところですが、それはそれはひどいリサイタルでありました。
 もちろんYundi君のせいではまったくありません。


 まず会場に着いてびっくり。
 Auditorio del Colegio Santa Ursula というので、うっすらといやな予感はしていたのですが、まさに「むかしの学校の講堂」そのもの。とことん固い合板の作りつけの椅子には、郷愁すら感じました。
 (おかげで今日は全身が痛みます。ショパン聴きに行った翌朝、筋肉痛だなんて本当にもう……)


 照明も音響設備も、本格的なものはなにもなく、背景の白カーテンすらまともに閉まらず、しかも舞台上では、開演直前までおろおろとピアノの調律をやっていたのです!
 それがまたひどく難航していて、フェルトをぐいっと引き抜いてみたり(そんなことしていいのか?)、ネジまわしを取り出し、鍵盤をがばっとはずして、中を不安そうにのぞきこんだりする始末。


 調律師が「匙を投げました…」と言いたげな顔つきで去ったあと、アナウンスもなしに小柄なYundi君がふらっと舞台に現れ、ショパンのノクターンの演奏が始まったのですが、恐れたとおりひどい音です。
 ピアノじたいが悪いのか、会場の問題なのか(まちがいなく両方)、ピアノのあのふっくらした響きがまったく感じられず、遠くのテレビ画面を見ているような、固く味気ない音色です。


 さいしょの二曲を弾いたところで、なぜかYundi君はいったん引っ込んでしまいましたが、「あのピアノはないです、勘弁して下さい」と興行主に訴えに行ったのではないか、と私は想像しています。
 まもなく戻ってきましたが、たぶんサインした契約書を見せられ、良き芸術家としては善良な聴衆のために最善を尽くすしかない、と諦めたのでしょう(想像)。


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 Yundi君もえらいご災難でしたね…
 この人くらいのレベルでも、やっぱドサまわりはしないとならないのね。
 まあ若いうちは、試練は多ければ多いほどいいのかもね……


 せめてマチュピチュくらいは、行かせてもらえました?
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 この貧相な講堂とボロピアノで、前のほうの席は500ソルほどしていたようです。
 いくらなんでも、それはサギでは…?


 Yundi君はわりと脚が短かったです。
 (音楽にのめりこめなくて、へんなことばかり観察してました)


 聴くほうもまた、苦行を強いられました。

 Yundi君はボロピアノから引き出せるだけのものを、精一杯引き出していたと思うので、こちらもなんとか集中しようと務めましたが、聴衆にもまた大いに問題があったのです。

 みなそわそわとつねに落ちつきなく、身じろぎの雑音がものすごく、もちろんあの固い椅子では、じっと座っているのが難しいのはわかりますが、許しがたかったのは、あちこちでぴこぴこ鳴りつづける時計やカメラの電子音。

 携帯電話も何度か高らかに鳴り響きましたが、そうするとみな「うおっ」みたいな声をあげて非難するのですよね(そのほうがずっとうるさいってば…)
 また演奏中ですら、みんなが録画せんと掲げている携帯画面の光も、ちくちくと目を刺激します。(そんなにコピーのほうがいいなら、さいしょからリサイタルなんか来ないでDVD買えばいいのに…)
 その上、まだ弾き終らないうちに湧きおこる拍手喝采…(せめてさいごの音の余韻を味わわせてくださいよ…)


 なんというか、万事、田舎者丸出しという感じで、とにかく悲しかったです。
 わたしゃ本格的な田舎は大々々好きですが、こういう中途半端な田舎くささほど哀しいものはありません。
 今日の私は、リマもう大きらいです!(笑) じきに立ち直るとは思いますが。


 東京でのクラシックコンサートの、水を打ったような静けさが、しみじみ懐かしかったです。
 むかしは、なんでこんなに緊迫して拝聴しないといけないの?と違和感を覚えましたが、ざわざわぴこぴこうるさいよりはずっといいです。



 リマでのコンサートでは、過去にも何度か苦い経験をしています。

 ペルーに移住してすぐ聴きに行ったのは、カトリカ大学の小ホールでの古楽でしたが、素人耳でもわかる楽器のひどさにびっくりしました。
 あのときは、なんて国に来てしまったのだろうと、かなり落ち込みました。


 Jazz Zoneでペルーの Susana Baca を聴いたときは、小じんまりした場所だけに、歌手本人の不都合なつぶやきまではっきり聞こえてしまい、幻滅しました。
 こういうものは、近くで見ればいいってものじゃないですね…


 キューバのOmara Portuondo を聴きに、Hotel Maria Angolaのホールに行ったときは、冷え冷えとしたコンクリート倉庫に折りたたみ椅子が並べてある、といった風で、歌じたいはすばらしかったけどゴージャス感ゼロでがっかり。

 そういった過去をふりかえってみても、今回のひどさは格別でした。いくらリマでも、も少しましな会場(とピアノ)があったと思うのですが!
 あのレベルのピアニストを学芸会用の舞台に載せてしまう、というのは、ある意味すごい贅沢?かもしれませんが…


 聴衆の中で二組ほど、固い椅子と音の悪さに辟易したのでしょう、さっさと帰ってしまった人たちがいましたが、ほかの人々は心底満足していたらしいのが、また驚きでした。

 私たちは家に戻ると、Yundi君のノクターンをCDで聴きなおし、それでも足りなくてプロコフィエフもうわ〜っと大音響でかけて、耳を洗って、なんとか溜飲を下げました。
 (…そうですよね、リマには無数の欠点があるけど、深夜に音楽を聴いても、誰からも苦情が来ないのはいいですよね)



 とにかく今回という今回こそ悟ったのは、リマでこの手の贅沢を求めては、やっぱりいけない、ということです。
 リマでしか味わえないものもあるんですから、そういうものごとを選んで味わい、あとはがんばって働いて(がんばって同居人を働かさせて?)、ペルーにはない種類の文化の香りを吸いに、ときどき海外へ行く。
 それが当地における理想の暮らしでしょう。実現できるようにがんばります。
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 やはりリマで見るべきものは…


 先週開かれた「ワンカベリカのカルナバル」(四旬節なのにまだやってるカルナバル…)は、すばらしかったです。
 アンデスからの移住者(およびその子孫)の比率が圧倒的となりつつあるリマでは、もうねんじゅう本式のアンデスのお祭が開かれるので、嬉しいかぎりです。


 もちろん、セントロの中央広場とかでよくやっている、商業ダンサーによる疑似アンデス舞踏は、観光価値以上のものはありませんが(にせものかどうかは、脚の色を見れば大抵わかります!)、地方の人がリマでの晴れ舞台めざしてがんばるコンクール形式の催しには、見ごたえのあるものが多いです。
 ふつうちらっと地方に行く程度では、ぜったい会えない小村の人たちも、すばらしい衣装で参加していますから。


 特にこの「ワンカベリカのカルナバル」は、良い意味での「田舎度、地方度」が高く、ごいっしょしたミチカさんもそのへんの味わいをよ〜くわかってくださる方なので、たいへん楽しいひと時でした。

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 夏の終り。
 いまごろは、日中はさわやかに(まだ日向は暑いほど)晴れて、午後からこうして海霧が押し寄せてくる日が多いです。
 青空と海霧とのせめぎ合い(夏と冬とのせめぎ合い)が、これから五月ごろまで続きます。


 ぜんぜん関係ないのですが、そういえば今週末はもうペルーの大統領選挙なんですね。

 10年ほど前の選挙では、掲示板で開票速報を流したりして、大いに楽しんだのですが(あのときいっしょに盛り上がってくださったみなさん、お元気にしてらっしゃるでしょうか、懐かしいですね!)、今回はまるきり興味が湧かず、そういえば前の日曜の候補者討論会すら見逃してしまいました。

 ペルーの大統領はこの十年、パニアグア(臨時)、トレド、ガルシアと、天を仰いで胸を叩いてペルーの不運を嘆きたくなるような信じがたい面々が続いたわけですが、あとになってみると、な〜んもしないで大統領府で酔っぱらってたり、朝食会ばかり開いてむだに太っていくような大統領でも…というかむしろ、よけいなことをなんにもしないそういう大統領のほうが、けっこう世の中うまく運ぶ(それはあくまで、その前に敷かれた経済路線がしっかりしていたおかげですが…)、ということがわかったので、今回はあまり危機感がありません。

 あのかつて「エイズとガンとどっちがいい?」と囁かれた、トレド・ガルシア対決よりなおひどい、トレド・ウマラ対決にならないことだけを祈っていますが、祈ってるとなぜか最悪のシナリオが実現してしまうので、できるだけ具体的に想像しないようにしております。
 神々よ、どうかわがペルーに愛と憐みを!



2011年4月11日(月) 午後1時半の室温23.8℃ 湿度61% 雲の多い晴れ
<お祭はつづく…>



 きのう日曜は大統領選挙でした。
 それで、前の金曜から今日のお昼まで禁酒令が敷かれていたのですが、スーパーWONGではちゃっかり木曜に酒類のバーゲンをやっていたので、笑ってしまいました。


 禁酒令が出ると外では飲めないですから、みんな事前に買い込み、開票速報を肴に自宅で飲むわけですが、いちおう大声では言っちゃあいけないはずのその需要に、堂々と四段抜き広告で応える新生WONGの姿勢は、つくづくチリ的だなあと感心しました。

 さて選挙の結果はみなさまご存じのとおりで、フジモリ政権末期にプリミティブすぎる「蜂起」を企てたオリャンタ・ウマラ候補と、フジモリ元大統領長女のケイコ・フジモリ候補が決選投票に進む見込みで、選挙のお祭さわぎは、あと二カ月も続くことになってしまいました。(WONGではまた酒類バーゲンやるのかな…)

 30%程度の支持とはいえ、前科もちのオリャンタ候補が一位で選ばれたことについては、おそらく「ペルー人はすぐまたそういう怪しげな候補にだまされる、どうかしている…」とお嘆きの諸兄もいらっしゃることかと思いますし、私もそのお気持ちはじゅうぶんわかるのですが、でも決して単にだまされているというわけではないと思います。

 この十年、二十年で、ペルー各地の都市には羽振りのよい中間層が形成されたと思いますし、ペルー全体としては経済状況もたいへん安定していますが、そのせいでなおのこと不公平感、疎外感をもっている人たちは非常に多いはずです。
 そういう人たちが、だれか目新しいタイプの大統領が、今度こそ自分たちも享受できるような発展をもたらしてくれるのではないか、と期待するのは当然で、それをだれが批判、軽蔑できるでしょう。


 そういえばフジモリ時代には、フジモリ元大統領一流のうさんくささ(…うさんくささというのは、古今を通じて政治家には欠かせない資質のひとつなのですが…)を嫌う海外インテリ層のフジモリ・アレルギーは、たいへんなものでした。
 フジモリ政権に、ひたすらブラックな何かを見出そうとする傍観者たちの視線には、ペルーでの生活実感からは大きくズレているところがあり、興味深かったです。


 じっさいにいちばん困っている人たちが、目に見える生活改善をしてくれる(あるいはしてくれそうな)政治家を支持するのはあたりまえです。
 それを都会の居心地の良い書斎や、リマの贅沢なホテルの一室から、テレビやネット越しに上から目線で眺めつつ、「政治家に踊らされる愚かな国民」だなんだと批判するのは、ほんとうにかんたんなことです。(ついついやっちゃいますけどね…)
 ペルーの有権者の大半は、そんな部外者のご意見などただの大きなお世話、と鼻にも引っ掛けていないことでしょう。



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 聖週間さいしょの「枝の主日」に、アヤクーチョの広場へなだれ込む盛装のリャマたち。
 聖週間のさいごに燃やすレタマの枝を、運んでくるのがお仕事です。
 (中には「参加することに意義がある」とばかりに、手…背ぶらのリャマもいるようですけど)


 アヤクーチョの聖週間は、最終日の「栄光のキリスト」像のプロセッションが有名ですが(当「ペルー談話室」のトップページをごらんください)、私が思うに、いちばん味わい深いのはその前の日曜のリャマ大行進です。(今年は今月17日が「枝の主日」です)

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レタマを背からおろしてもらって、ほっとしたようすのリャマたち。

 今回の大統領選が、この先どう転ぶかはまだまだわかりませんが、とりあえずわが家としてはケイコ・ソフィア候補が残ってくれて一安心です。
 クチンスキー候補もなかなか味のあるおっさんのようですが、残すところ二か月の一夜漬け選挙活動で地方の支持が得られるとはとても思えないので、オリャンタ候補に負ける危険はケイコ候補よりずっと大きいでしょうから。(今回オリャンタ候補に賭けてみたい人の気持ちはわかりますが、わが家的には支持してませんので)


 さてこれもテレビ越しの感想にすぎませんが…
 ケイコ・ソフィア候補は、90年代後半のファースト・レディ時代から、若いにも関わらずおそろしく冷静沈着な人でした。


 当時はお父さん世間から叩かれまくりだったのに(数々のブラックな噂の中でも、当時のペルーに言論の自由がまったくなかった、というのだけはぜったい嘘です、みんな言いたい放題やってましたとも!)、ケイコさんはそんな逆風の中でも、「失言」というのをしたことが一度もなかったのですから、まったくたいしたものです。(どうもお母さんからは、なにも遺伝しなかったんですね…)

 フジモリ・アレルギーの方々も、彼女のカジュアルなインタビュー番組など一度ご覧になれば、だいぶご意見かわるんじゃないかな、という気はいたします。お気が向けば、ですけれど。

 いちばん忘れがたいのは、2000年でしたか2001年でしたか、フジモリ元大統領が東京へ緊急避難したあと、彼女がひとりで大統領公邸の片づけをすませ、残った荷物を持って出ていったときの様子です。

 お父さんもよくまあ、ファースト・レディとはいえまだ若い娘に全てをまかせて、とっとと出て行けたものだなあ…と思いましたけど、ケイコ嬢(当時)は淡々とさいごの雑務を済ませると、公邸で働く人たちと実に心の籠った挨拶を交わしてから、ゆっくりと去って行った後ろ姿が印象的でした。
 さすがの報道陣も、あのときは言葉を慎んでいましたね。


 当時はまだお嬢さんぽかったケイコさんですが、きのうひさしぶりにテレビで見たら、いつのまにかお父さんそっくりの、蛇のように冷静かつ鋭い目もとにかわっていたので、びっくりしました。
 長いこと私がニュースを見なかったあいだに、すっかりプロの政治家に変身していたのですね。
 (彼女はぜったいダイエットしないほうがいいですね、ふっくらとした顔かたちが、あの隠しきれない鋭さをうまくやわらげていますから)


 昨晩、投票後初のコメントをするときも、他の主な候補がみな発言を済ませるのを待ち、さいごにやっと顔を出したあたり、明らかに父親譲りのやりかただなあと思いました。


 今は、ケイコ候補は何ら具体的な政策案を示してないじゃないか、と批判されているようですが、それは少々的外れなように思います。
 政策案があろうがなかろうが、うさんくさかろうがなんだろうが、まずは人心をつかんで勝つのが大事で、意外にあっさりコケてしまったカスタニェーダ候補などは、そのへんの機微がわかっていなかったようです。



 …コケたというと、元大統領のトレド候補も、ちょっとかわいそうになっちゃうくらいのコケっぷりでしたね。
 一時は候補者の中で首位をおさえそうな勢いで、私もさすがに「ペルー人ってもしかして日本人に負けないほど記憶力に問題が…?!」と心配し始めていたのですが、ペルー国民のみなさん、気は確かだったようです。良かった。
 (ある一定の方々にとって都合のいいトレド候補を勝たせるために、当初は意識調査の数字をトレド有利になるよう操作していたのだけど、さいごは隠しきれなくて、あたかも急に人気が凋落したように見せかけた、との噂もまたあるようですが…)


 昨晩は例によって、トレド様御一行はセントロのシェラトン・ホテルにたむろっていたので、アレハンドロくんまたランボー風鉢巻き姿でホテルの屋根によじ登り、ひと騒ぎやらかしてくれるかと期待してたのですが、真っ蒼な顔で出てくるなり(昨晩は珍しく飲んでなかった)、早々に敗北を認めたので、少しがっかりでした。

 せっかく金髪に染めてきたエリアン夫人も、momias de leymebambaのようにこわばった顔で沈黙を通し(昔のような憎まれ口を、一言くらい聞かせてほしかったのだけど…)、もともと私はだいきらいな二人ですけど、こうなるとちょっとかわいそうです。やはり二人とも年をとったということかしら……しみじみ。
 たぶん支持者から見ると、やはりそれなりの人間的魅力はある夫婦なのだろうなあと(あの何も隠せないところにある種の愛嬌があるのかもしれないなあと)、今ごろになってちょっとだけ納得できました。



 なにはともあれ、どうやら悪夢のシナリオ(あくまでわが家にとっての悪夢のシナリオ)だけは回避できて、まずはほっとしているリマよりの雑談でした。
 …もちろんちがう意見の人も多く、かのノーベル賞作家氏も「こりゃ最悪の選択だ!」とぼやいておられるようですね。いまや「国民的作家」なのですから、民意をそういうふうに一刀両断にするのは、どうかと思いますけれど。


 こう言っては失礼かもしれませんが、ペルー白人層のresentimientoの強烈さには、ときどきぞくっとさせられます。それも歴史の長いこの国の、味わいのひとつではあるのですが。
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 リャマやロバ、馬たちの大行進のあと、手早く掃き清められた広場に(おとしものがありますから…)、今度はロバにまたがったキリスト像がしずしずと入場します。
 アヤクーチョの人たちは、朝のうちに市場で選び、教会で聖水をふりかけてもらった椰子の枝を熱心に打ち振りながら、キリスト像を迎えます。


 救世主を求める人の心は、いつの世も同じです…


2011年4月20日(水) 午後1時半の室温23.1℃ 湿度61% 少し靄がかかっているけれどほぼ快晴
<リマで和菓子>


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 おととしの春爛漫の東京があまりに懐かしく、いろいろ思い出すうち、なぜか目白駅前「志村」の和菓子などもありありと浮かんできて、やりきれなくなったので、生まれて初めて練りきりを製造…してみました。

 めじろ…のつもりなのですが………
 中は黄身餡、味はなかなか良かったです。


 すてきなお皿は、やはりおととしの東京でS家のK子さんに頂いて、だいじにリマまで持ち帰ったもの。
 K子さんご自身が絵付けをなさったそうです!


 紅葉のお皿も頂いたので、いずれ秋らしいお菓子が作れるよう、少し練りきりの修業をいたします。

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 こちらは桜…のつもりですが、たどたどしいお菓子より、絵皿のほうをご覧ください!

 以前は桜にさほどの思い入れもなかったのですが、おととし以来、心にかかってならない花となりました。
 今年は日本もいろいろ大変で、寂しいので、源氏物語でも読み返そう…



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 自家製練りきり(もどき)の主な材料は、pallares(白いんげん豆)の水煮缶詰です。
 あとは和食材料店で手に入る餅粉や、ふつうのお砂糖、卵など。


 意外にすぐ揃う材料で、味はそれなりに作ることができたので嬉しいです、もっと早く試してみれば良かった!
 これでまた当分、東京には行かないで済みます(持ちこたえられます)。



 (いんげん豆は和食に欠かせませんが、すべて中南米原産ってご存知ですか?
 特にこの白いんげんは、ペルー植民地時代にここリマ(Lima)から各地に輸出されていたので、それでLima Beansという英名があるほどです)


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 桜はないけど、今わが家ではベゴニアがきれいに咲いております。

 先日リマの園芸店で、珍しく桜(濃い赤の緋寒桜ではなく、淡いピンクのだと言ってましたがほんとかな…)の細〜い苗を見かけました。
 そのうち手に入れようと思っていますが、リマでは何月に咲くのでしょうね、やはり春の九月くらいかな。



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