2011年6月・7月の「一服いかが?」
2011年7月9日(土) <新しい生活パターンの模索中>
2011年7月11日(月) <ていねん退職>
少しご無沙汰しました! 十八日間の眩いマラケシュ・グラナダの旅のあと、この週末リマの家に戻って参りました。 スペインの陽光をたっぷりすぎるほど浴びた皮膚に、リマの冬の湿った空気は本当に心地よく、今しんそこほっとしております… 前の日曜はご存じのとおり大統領選挙でした。 ケイコ・ソフィア候補は、僅差での落選がほぼ決定となったようですね。 (ただあまりの僅差のために、おそらく正式な発表は、最後の一票まで数え終えてから…ということは一週間くらい先になるのかもしれません) 私も当然、贔屓のケイコさんの落選は残念ですが、一時のご無体なまでのフジモリ叩きの時代を思えば、議席をけっこうな数、確保できただけでも、今回は上出来でしょう。 なんといってもケイコさんはまだ若いですし、四十代に入って、も少し凄みを増してから大統領就任、というのがペルーにとってはより望ましいかもしれません。 それに、最近の妙〜〜に優等生ぶったペルーには、どうも大きな違和感があったので、これもまた歴史の必然ではないか…と冷静に受け止めています。 このまま良識が服着たようなケイコ・フジモリ候補や、一部で大人気のPPK爺さんあたりが大統領となり、また五年間無難に繁栄の道をたどる…というのは、うわべを取り繕いすぎていて、なにかがおかしい……ような気がするのです。 近年のペルーの発展ぶり安定ぶりには、確かに目を見張るものがあります。 でもそれは都市部の上澄みだけのお話で、内部にはいまだ植民地時代以来の、それはもう巨大な矛盾を抱えたままです。 アンデスのほうに向け、ほんの小一時間も車を走らせれば、それはすぐ見えてくることですけれど。 もともと宿六が乱世向きの人なので、私は今回の選挙はどう転ぼうとかまわない、と達観していました。 だから開票速報も見ずに、せっせと旅の夏服を洗っていました。 でもきのう、何人かのリマっ子と話をしてみてびっくりしました。みなさんの暗いこと暗いこと…… リマの鉛色の冬空のような表情です。 特にここ数年の好景気を享受していた人ほど、先行きへのたまらない不安に苛まれているようでした。 いつも不公平なまでに良い思いをしてきた、ペルー都市部の中・上流の連中(私ふくめ)は、たまにはこういう不安を味わってみるのも、本当は良い薬なのかも…しれません。 |
マラケシュのおみやげ。 出立直前、無理をお願いして診察してもらった歯医者さんへのおみやげ。 その歯医者さん、「人の歯」関連グッズの収集家でもあるのです。この歯科の看板はウケました。 マラケシュの人々がこよなく愛する「笑う牛」チーズの看板のほうは、いずれパチャカマックの家の台所に飾ろうと思っています。 |
書籍収集家の友人に頼まれた、バルガス・リョサの著作のアラビア語版。 Maytaだそうですが… 本文も実に美しいですが、なにがなんだか… 今度の旅で、アランブラ宮殿に四回通ってみて、やはりスペイン語環境で暮らしていく以上、アラビア語はちょっとだけでも齧るべきかもしれない…と思うようになりました。 出発前になんとかアルファベットだけ暗記しようとして、結局だめだったのですが、それでもアランブラの壁に無数に記された「アッラー」だけは見つけ出すことができ、ちょっと幸せでした。 |
ただ、冗談ではなく気の毒な話も多く、たとえば宿六のいとこ(二十代なかば)は、さいきんドイツ系のコンサルタント会社に転職して喜んでいたのですが、「もしウマラが大統領になったら、今年の契約更新はできない」と早くから言い渡されていたそうです。 また、友人の弟さんが勤めるスイス系鉱山会社でも、近年ペルー向けに毎年組んでいた膨大な予算を、「もしウマラ候補が大統領になったら即時&無期限停止する」と去年のうちに決定していたそうです。 (やっぱりヨーロッパってシビアだわ〜) 彼らはいやおうなく、今年は何かまるで別種の仕事を探し、なんとか生き延びるしかなさそうです。 かつて軍人でありながら反乱を指揮し、本来ならば国家反逆罪で始末されていて当然だったオリャンタ・ウマラ候補のような人(失礼ながら現代人としての常識のなさ、教育のなさは火を見るより明らかな人)を、こうして選び出してしまう、ペルーの大衆と呼ばれる人たちは、たしかに無知なのかもしれません。 しかし、何かまったく新しいものを待ち望む気持ちというのも、やっぱりちょっとは理解できるような気がします。 そもそも彼らの、そういう狭い意味での教育のなさは、 (…念のため、「教育のなさ=人品の低さ」ではまったくありません、ペルーの場合むしろ、教育のある連中のほうにこそ人品著しく劣る手合いが多いです) 常に自分のポケットのことしか心配してこなかった、主として白人からなる社会上層部の責任です。 今まで一度もペルー全体に心を配らなかった、その思わぬとばっちりを、こうして彼ら自身が受けているわけで、これはなかなか興味深いことになってきたと思います。 今年の干支には、大きな変化の年、大きな扉が開く年、という意味合いがあるようですが、どうやらペルーでも何かが動き出したようですね。(うちも今、突然ぎぎい〜っと自由への扉が開き、なかなかたいへんなんですけど、それは後日詳細に語らせていただくとして…) しかし、とりあえず経済相が誰になるか、せめてそれがはっきりするまでは、無駄に慌てることなく静観するのがいちばんと思います。 とはいえ投資家は即刻、手を引いて様子見を決め込むでしょうから、まず一年間は(鉱山系は軽く三年くらい?)さまざまなことが停滞状態となるでしょうし、不動産や自動車販売といった分野への影響もすぐ目に見えてくることでしょう。 (だから逆に、リマ郊外あたりに老後の別荘を…とお考えの方には、チャンス到来かもしれません) そのへんは仕方ないことなので、粛々と日々やり過ごすほかありません。 ただここはまがりなりにも、憲法で守られた現代国家です。 別に次の独立記念日を境に、突如ウーゴ・チャベスが乗り込んでくるわけじゃあありませんから、必要以上に不安がるのは意味がないと思います。 中にはペルーのベネズエラ化を恐れる人も多いようですが、幸か不幸かペルーには、大統領が大衆にばらまくことができる石油収入というのがありません。 もともと鉱山からの収入だけが頼りなのに、それをみすみす失うような動きは、いかに無茶苦茶をやらかしそうな顔をしている(失礼)ウマラ氏とはいえ、そう簡単には推し進めることはできないはずです。 結局政治とお金の力は、分かちがたく表裏一体のものですから… |
そういえば以前にも、似たようなことがありました。 アンデスの救世主を気取って登場したトレド政権発足時には、「今度の大統領はなにかとんでもなくラディカルなことをやらかすのでは?」という不安から、ペルー全体がしばし不毛の停滞状態に陥りました。 でも結局は、トレドはもっぱら飲みに専念、余計なことも大事なことも何もしなかったので、ある意味それなりに悪くない大統領として、うやむやっと任期を終えました。 また、八十年代の一期目にはペルーを破産状態に追い込んだアラン・ガルシア大統領も、二期目の今はもっぱら食い気に走り、横に太るばかりで何もしないので、それなりに悪くない大統領としてうやむやっと任期を終えようとしています。 だからウマラ候補も、最終的にはなんでもありの公約の十分の一も果たさないまま(だってそれを裏付ける歳入の見通しがないんだもの…)、うやむやっと歴史の闇に消えていくのでは…というのが、いちおう現時点でのわが家での予測です。 もしそうではなく、恐るべき白人階層の鉄壁を打ち崩すような政策を、本当に何か打ち出すとしたら、それはそれですごいことですけれど。 フジモリ(父ちゃんのほう)だって、出てきたときは本当にあやしげな、浴衣着て日本刀を振り回してみせる泡沫候補だったのですから(今まで固く秘密にしておりましたが、九十年の選挙直前のリマで、ぼろいテレビに写るフジモリ候補を初めて見たとき、私は「なにこのチープなおっさん…?」と思ってしまいました…)、ウマラだってもしかしてもしかしてもしかしたら、何か意味のあることをやってくれないとも限りません。 なのでほんとうにわずかな、ごくごく一抹の期待感のようなものも、なきにしもあらず…なのですが、まあたぶんこの国とあのウマラ氏(とかの奥さん)の組み合わせでは、そうはコトは運ばないでしょうね。 実のところどの程度の人物か、これからじっくりお手並み拝見、です。 ところで、私も宿六もペルーはけっこう好きですが、別にペルーと心中するほど好きではないので、もし当地の状況が本当にどうしようもなくなったら、猫を連れてさっさと河岸をかえるつもりです。 なので、私がここで暢気なことを書きつづけているあいだは、ペルーの状況は意外にどうってことはなく、観光に行ったりしても大丈夫なんだな、と判断していただいてよろしいかと存じます。 自慢ではありませんが、私はバブル時代を今に引きずる根っからの軟弱者です、この私が生きていけるペルーは、誰が訪問しても大丈夫なペルー、だと思います。 どうせ事ナカレ主義の某国外務省は、すぐまたペルーへの渡航延期勧告とか出すんでしょうけど(というかもう出てるのかも?)、あんなものは何の目やすにもなりません。 夏休みなどにペルー旅行をご計画中の方は、ぜひ在住者の言動もチェックなさってください。 すばらしく見どころの多い国なので、早まって予約を取り消したりなさると、とっても損だと思います。 |
スペインのおみやげ。これは猫番君に。 バラハス空港のお土産屋さんに、懐かしいOSBORNEの黒牛看板グッズがたくさんあり、帽子やエプロンセットをついつい買ってしまいました。 「高速道路の脇にたたずむ黒牛」のウォーターグローブもあり、あんまり重いのでやめたのですが、やっぱり買っとけばよかった…と、ただいま大後悔中。 |
先月とつぜん、まったく新しい生活が始まりました。(そのへんの内情は後日じっくり… 言いたいことがありすぎて、なかなか書き終えられないもので…) 夫婦そろって自由業となり、宿六がほぼ一日中うちで仕事をしているため、孤独な時間が必要な私は、ちょっと困ったことになっております。 |
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…しかしそれよりもっと困るのは、私が三食の担当だということ! 当地には、デパ地下もお惣菜屋さんもコンビニエンスストアもありません。その状況で和食中心の生活というのは、まさに孤立無援です。 近所のレストランを探す、という手もないわけではないですが、それではせっかくリバウンドなしで維持している宿六の体重も心配ですし…(と自縄自縛) おかげでさいしょの一週間は、台所で明け暮れたような気がして、発狂寸前でした!これではたまりません! 思案の末たどりついたのは、昼食をいちばん重くし、そのあと台所をきれいに片づけてしまい、「これにて当店のチェフ(スペイン語読みのシェフ)は帰らせていただきます」と宣言。 夕食はごく軽いもので済ませる、という方法です。 昼より夜間に雑用が少ないほうが、より優雅な暮らしであるかのような錯覚を起こしてくれます。 (じっさいの負担は変わらないので、朝三暮四にだまされる猿なみではありますが) 苦難の一カ月がすぎ、生活時間帯はだいたい固まってきました。 毎朝あわただしく宿六を送り出さなくて済むのだけは、ほんとに楽で助かりますが、あまり怠惰に流れてもいかんので、サラリーマン時代に身につけた早起きの習慣は、変えないように気をつけています。
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リマの公園の花。 今年はリマ中がロマス(沙漠の花園)になってしまったみたいです。 毎日のように霧雨が降り、かつては新聞一面沙汰だった「水たまり」も、まったく珍しくなくなりました。 このぶんだとじきに傘も普及し始めるかな?と思い、ためしに傘をさして歩いてみましたが、リマの細かな細かな霧雨は、傘ではほとんど防げないとわかりました。 ここの気候には、ウィンドブレーカーがいちばんですね。 |
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なにしろ自由人なもので、ときどき平日に海辺で散歩したりしますが、このものすごい霧のおかげで翌日は必ず喘息です。(宿六はぜんぜん平気) せっかくの散歩も、これじゃあ健康にいいのかわるいのか、よくわかりません。 |
公園の向こうに、かまぼこ型の変な電車駅が出来ました。 うーむ、山吹色、ですか………… リマっ子の色彩感覚には、もとより期待はしていませんでしたが、それにしてもつくづくキイロい。 しかも駅ごとに、青とか赤とか変えてあるようです…… リマのような雑然とした街に、この奇妙なデザインとくるなら、銀色で統一すればけっこう良かったかもと思うのですが。まあいっか。 |
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試運転中の電車を見かけましたが、…えええ、うそでしょ?! やっぱこの色になっちゃうの!? ペルー国旗そのものの赤白だんだらで、愛国者たちを大いに鼓舞しそうなデザインではあります。 しかし電車がこの色なら、なおのこと駅は銀色にしてほしかったなあ。 赤白だんだらが山吹色の駅に入っていく、というのは、色彩的にちと耐えがたい。 うちから見ると、電車の高架は大きな公園をはさんだ向こうなので、色彩公害のみならず騒音も気がかりでした。 でもこのだんだら号は音もなく走っていたので、とりあえずほっと一安心。 |
駅もだいぶ出来あがってきました。 任期満了間近の大統領のアラン君が、どうしても開業式を自分でやりたいものだから、急ピッチで仕上げを進めさせているようです。 (さっき見たら、はじめて構内に蛍光灯がついていました。その寂しげな青白い光が、いよいよ駅らしいです。夜、うちの窓から駅が見えるのは、ちょっといいな…) 完成の暁には、和食のIZAKAYAまでこれ一本で行けるので、私はこの電車をTHE IZAKAYA EXPRESS!と呼んでおります。 |
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今後のわが家の課題。 1)早急に上階の私の部屋を整理。できるだけそちらに籠って絵など描けるようにする。(宿六と別空間で仕事できるように…) 2)かんたんな家事を、少しずつ宿六に委譲してゆく。 現在仕込み中の家事…食器洗い機の羽根洗い(ほぼインプット完了)、シャワー室のガラスの水滴拭き(どうも何のためにやるのかまだ理解していない模様…)、掃除機(前途多難) 3)仕事に必要なポルトガル語を大至急で習得(宿六)。 遊びに必要なイタリア語を久々に再開…するかも(私)。来年の誕生日はイタリアにしようと宿六が言ったので、大いに期待しています。と、逃げ場がないようここに書いておこう。 |