おはようございます、ナスカは朝もはよから快晴です。 そこに颯爽と登場した、本日ガイドをお願いするエドゥアルド君。
今朝の青空がよく似合うエドゥ君、うーん誰かに似ている、誰かに似ている…と車内で苦しんでいたら、calleretiroさんがぽつりと…
「松崎しげる…」
日本人だけ大笑い!(宿六は帰宅後ネットで写真を検索し、おくればせながら大笑い) 「とっても人気のある日本の歌手で〜」という話をすると、エドゥ君もニコニコ。 現にエドゥ君のお兄さんはワイノ歌手で、先だって日本を演奏旅行で訪れ魅了され、「ぼく、生まれる国まちがえた!」と言っているそうです。
日本贔屓の人との旅は、そりゃあやっぱりいいものですよね、今日は楽しい一日になりそうです!
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まもなく舗装路を離れ、地球上じゃない景色の中へつっこんでいきます。 「なにもない広いところ」がお好きなpacollamaさんご夫妻、一気にハイに! リマに長く、乾いた風景ズレしている私たちは、まだちょっと眠いかな…
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半時ほど走って現れたのは、アチュパラ(ティランジア)の大・大・大・大群生! ここで私も血圧急上昇、pacollamaさんといっしょに、まろびつころびつ車から飛び出します。 宿六だけはまだ眠そうです。
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砂丘の上に生えているのは、見渡す限りティランジア! ティランジア・マニア(日本には意外に多いみたいですね)にはたまらない光景でしょうね、ひっひっひ、いいでしょ〜? 花は紫と赤の二種があるようです。
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Tillandsia purpurea
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Tillandsia latifolia
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足もとに無数の子分をひきつれたティランジア。子株なのか、実生で増えたのか…? 花茎の先にもりっぱな子株がついています。
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その後も20分ほど、ただただティランジアが群生するティランジア国を走り、遠くに海が見え始めるころ、やっとティランジアが途切れます。
「一生のあいだに見たティランジア総数」が恐ろしく増えてしまいました。 (ペルーにいるとしょっちゅう増える数値ではありますが、これほど増えるところは初めてです)。
奥の濃い青色は海です。 こんなカラカラの晴天下でも、やはりペルーの海、かすか〜に靄って、空と見分けがつきにくいです。
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あっコンドル発見! 海岸部で見るとありがたさもひとしおです。 きっとアンデス方面と海辺とを、軽々と行き来しているのでしょうね。
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コンドル撮れるかな…?
←いちおう撮れたみたい。
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じっと眺めていると、めまいのしそうな砂紋です。
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現地では真白に見えたのですが、写真だともっと彩度がありますよね。 あれは眩しい太陽光の反射のせいだったのかな?
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サン・フェルナンドの砂。
沙漠の砂ですから、海砂に比べればなめらかな感触ですが、サハラの砂のほうがもっと手にしっとりなじむ感じでした。
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サハラ(モロッコのChebi砂海)の砂。
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砂粒をじっくり見ると、右のサハラの砂粒より尖ったものが多く、また石英ではない粒々もたくさん含まれている(均質ではない)ように見えます。
透明な石英の粒も、酸化していない(赤くなってない)、…ということは、サハラ沙漠よりずっと新しい沙漠、ということでしょうか?
いま現在も、つねに海から砂が補充され、形成されつつある海岸沙漠ですから、当然かもしれませんね。 (以上すべてあてずっぽう)
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上の砂を拡大。 ほとんどの粒が、赤く酸化した石英のように見えます。 年季が入っている証拠ですね。
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うしろの車の、砂丘のはしっこでの引っかかり具合が、どうも気になります。 しげる君なにしてるんだろう…?
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砂丘の尾根をよたよた歩いて、しげる君のところまでたどり着くと、 「ここからサンドボードで滑り降りたい人〜?」 ……全員、うっと沈黙。
アドベンチャー気質のお客じゃなくて、若いしげる君はちょっとざんねんだったかも? 結局みな大人しく車に乗って下りましたが、それでもじゅうぶんこわかったです。
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砂丘を降りたところに、野生のラクダ科動物、グアナコの足跡がありました。 ティランジアの花が大好物で、わざわざ山のほうから食べにくるのだそうです。 いったいどれだけの距離を歩いて、ここまでやってくるのでしょう。
鉱山の違法操業や密猟のせいで、降りてくるグアナコは激減してしまったそうですが、それでもまだ来続けているのは確かなようです。 残念ながら今日は見られませんでしたが、次回の楽しみにしようと思います。
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かわりに出てきてくれた、小さな砂色のトカゲ。 サハラのトカゲはサハラの砂色、サン・フェルナンドのトカゲはサン・フェルナンドの砂色。 いいですねえ。
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海に面した斜面には、こんなに植物が。 海岸部の夏(12月〜3月)になると、ここが花畑にかわるそうです!
ぜんぜん知りませんでした、ほかの海岸部のロマス現象とは、季節がさかさまなんですね。 ぜひその季節にも来てみたいです。
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砂丘を車でだーーーっと下り、なんとも美しい色合いの入江へ。
しげる君いわく、 「ここは入るのはいとも簡単だけど、出るのがそれはそれは大変なんです。 だから個人で観光するのはお勧めできません」 とのこと、さもありなん。
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急な崖下をこわごわのぞくと、オタリア(アシカの仲間)やペンギンが、文字どおり折り重なっています。
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そして沖に目をやれば、きらめく海の上をペルーカツオドリが悠々と飛んでいきます。
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こちらは子育て中のフンボルトペンギン。 二羽とも濃い灰色の雛を連れています。 下のペンギン君、カメラ目線ですね。
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小ぶりでかわいいフンボルトペンギンは、リマ近くの海でも見かけますし、日本の水族館にもたくさんいるので、いくらでもいるものと思っていました。 でも実は絶滅危惧種なのだそうです。
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濃い青緑色の澄んだ海。黒々と見えるのは海藻です。 望遠でのぞいてみると…→
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うわあああ、すいすいと泳ぎ回るオタリアだらけ! まるでメダカの学校です。
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波が寄せるたび、白濁したり透き通ったりする水の中を、ほんとうに楽しそうに泳ぎまわっています。 この絶妙な色、入浴剤入ってますよね…
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特に魚を探す様子もないので、純粋に遊んでいるのかな?
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風の音がうるさくてすみません。 うお〜っうお〜っと聞こえるのはオタリアたちの鳴き声です。 (メスをたくさん従えた支配的なオスについて、嬉々として語る宿六に、私がこの上なく気のない返事をしております……)
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むやみに大きなお父さんも出てきました。
小さなオタリアたち(たぶんメスと子供たち)は、海に入ろうとしても、何度も何度も強い波に押し戻されます。 「ああなんて過酷なメダカの学校なんだ!」とcalleretiroさん。 文字通り波にもまれて大人になるのですね。
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背中の一部分だけ先に乾いて、モヒカン風になってます。変な感じ…
ペルー沿岸部には、finoとchuscoの二種のオタリアが生息しています。 おそらく毛皮の質から、上等(fino)と雑種(chusco)という、ずいぶんな分類がされたのでしょうね。
実際にfinoのほうは、毛皮目当てに乱獲され、激減してしまいました。 でもここサン・フェルナンドには、まとまった数が今も生息しているそうです。
見分けかたは、finoのほうが全体に小ぶりで、優雅な姿をしている、らしいのですが…
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…こうも全員びしょぬれだと、まったく見分けがつきませんねえ。 でも上の写真のオタリアの、鼻のすっとした尖りぐあいは、なんとなーくfino君のような気がします。
リマ近海でよく見るchuscoのほうは、もうちょっとぶすっとむくれたような顔をしてますから。 まあオスとメスの違いかも知れませんけど…
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「ぶんむくれた顔でえらい悪かったの…」
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なんて気持ちよさそうな…
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しかしほんとはこの海、冷たいのです。 写真だと暑いところのように見えますが、フンボルト寒流ですから。 崖の上から眺めている私たちも、日はよく照っているものの、風に吹きさらされてかなり寒いです。
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calleretiroさんの帽子(右下)と、それを遠巻きにするオタリアたち。
そのサン・フェルナンド名物の強風にあおられ、calleretiroさんの帽子が崖下に落ちてしまいました。 ご本体としげる君も、走って崖ぎわまで追いかけて、ちょっと危なかったですよね……ヒヤっとしました! 「お母さん僕のあの帽子…」状態ですが、きっと今ごろは、いちばん強いオスがちゃっかり帽子をかぶっていることでしょう。
この小事件のあと、calleretiroさんはリュックからさっと別の帽子を取り出しました。 それを見ていたペルー人二名(しげる君と宿六)、「日本人の用意万端ぶりは〜!」としきりに感心。
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こちらはフンボルトペンギンの洞窟。
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オタリアのことを、ケチュア語ではcochapuma(海のピューマ)というそうですが、ほんとそのまんまですね。
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前にもご紹介しましたが、リマ市内のPuruchuco遺跡には、「猫科動物化したオタリア」 lobos marinos felinizados というシュールな壺があります。 大好きなので、また載せさせて…(Catalina Huanca, Lima出土、Horizonte Medio)
そして隣は、アシカ化したハシンタ猫 Jacinta otaliaforme?
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波が岩に砕けてジャグジー状態。
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またコンドルが上空を通過!
海辺までコンドルが降りてくるところは、ペルー沿岸でもそんなに多くはないようです。 大海原といっしょに写せるとよかったのですが、高いところをぐるぐる旋回するだけで行ってしまいました。
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オタリアに夢中でほとんど海鳥は撮りませんでしたが、お化粧が濃くてかわいいインカアジサシも、もちろんたくさんいました。(これはリマ近くで写したものですが)
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オタリア大興奮が一段落したところで、崖を下って静かな浜へ。 ここは風があまりなくてほっとします。海鳥のフンの強烈なにおい(肥料グアノの高貴な香りではありますが…)がしないのも助かります…
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やはり南へ来ると水が冷たく澄んで、とてもきれいです。 リマあたりの翡翠色の濁った海も、きらいじゃないですけれど。
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こういう岩場で遊ぶのは、いったい何年ぶり?
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潮だまりに小魚発見! どうしようどうしよう、なんかすごく嬉しくなってきた!
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ゆらゆらする光のきれいなこと… 哀れ宿六は、子供時代に潮だまりで遊んだ覚えはないそうです、たしかにリマ市内の海辺には、こういう場所はなさそうですよね。 あるとしても、波の荒いチョリージョスの岩場くらいかな。
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できるものなら日がな一日、ここで磯遊びしていたいです。 しかし丸焼けになるでしょうね…
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タコヒトデの白。
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タコヒトデの赤。 紅白そろったか。
むかしkotetsuさんと、リマ沖でタコヒトデを観察し、あまりの足のはやさに驚いたんですよね。 (ブログ拝見しなおしたら、あれは2006年のことでした! 時の流れにしばし呆然…)
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pacollamaさんたちとご一緒すると、なぜかトカゲ君によく会います。 …トカゲが出るような僻地にばかり、ご一緒してるせい?(^_^;)
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ここは浜の塵芥までがゴージャスです、蟹足、アサリ、ハマグリ、ウニ… 海鳥たちの贅沢な食生活がしのばれます。いやこれはおいしいでしょう!
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しげる君から何度呼ばれても、あと5分、あと5分…と子供のように磯遊びを引き延ばしていましたが、おなかも空いてきたので管理事務所へ。 リマから持ってきた簡単なもので食事します。
管理事務所はとても清潔で、ぴかぴかなトイレもあります。 さいしょ別の旅行社に問い合わせた際、「もし持ち込みで食事する場合は、事務所トイレの使用料として一人20ドル取られます」と言われたのですが、あのガセ情報、いったいなんだったのかな… ぜんぜんそんな阿漕な雰囲気のところではありません
なおあらかじめ予約しておけば、右のハイメさんが新鮮な魚を料理してくださるそうです。 次回はぜひそうしたいです、またここは宿泊も可能です。
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しげる君の隣が、管理事務所のハイメさん。 (逆光でますます松崎こげる色、二人ともよくお顔が見えませんが…) ハイメさんはここの静かな暮らしが大好きで、単身赴任でがんばってらっしゃる由。
お昼用に持って来たのは果物やパン、缶詰など、しょせんリマで手に入る程度のつまらぬものですが、しげる君とハイメさんはいたく感心した様子。 「こんなに用意がいいグループは初めてです!これが日本式なのですね!」
まあ確かにそうかもしれませんね、ペルー人のグループなら、炭酸飲料とスナック菓子とか持ってきそうですもんね。(子供の学校のお弁当まで、そんなものを持たせる親がいるくらいですから!)。
それに今回は大目玉商品があって、それはpacollamaさんたちから頂いた、わさびと柚子胡椒。 たまたま、ペルーでさいきん開かれたという「ワサビとマスタードとトウガラシ、どれが一番辛いかコンテスト」の話題になったので(わさびがぶっちぎりで優勝とのこと)、そこでささっとわさびを取り出すと、二人の喜ぶこと喜ぶこと。
特にハイメさんは、ものすごく気に入ってしまったようです。 結局一本ずつ取られてしま進呈してきました。 (写真は、「ここにもうちょっと、さっきのくださいpor favor」と言っているところ)
今ごろは、わさびと柚子胡椒なしでは生きていけなくなってらっしゃるかも。 再訪するときは、忘れず持っていかなくては。
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こんな鮮やかな色彩を前に、ほどよい海風に吹かれつつ、いろんな話をして楽しかった〜 こわいような上天気ですが、きのうまでは何日もかんぺきに曇っていたそうです、信じられない!
12キロ歩いた昨日と今日のお天気が、もし逆だったらえらいことでした。 ここでも南北の魔女が、いいとこ見せましたよね。
今朝はアンデスギツネが、このへんまで散歩に来ていたそうです。 なんとキツネは浜に降りて、ペンギンを食べちゃったりするそうです。
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サン・フェルナンド湾の、動物観察ポイントを示した看板。 リマの案内図で海が青く塗ってあると、うそつき…と思うけど、この海はまさに看板の青色ですね。
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ハイメさんともお別れし(本当にさよならだけが人生ですね…)ふたたび砂の崖を登ります。 ここから見渡す空と海は、なんだか宇宙から見た地球のような色だなあ…
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砂地に芽吹くけなげな植物。
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途中、車を停めてもらって、みごとなバルハン(三日月)砂丘を見物。
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三日月砂丘は、「砂の量が少なく、いつも同じ方向から風が吹くところにできる砂丘」だそうです。 この場合、左側が風上です。
地形愛好会のpacollamaさんは、車中でちょっとお昼寝なさってましたが、まさに三日月砂丘がいちばんきれいに見えるポイントでパカっと目を覚まされ、ぬかりなく写真撮影……さすが!
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湿気の多い首都リマでは、たとえ真夏でも、これほど青い空を見ることはできません。
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三日月砂丘たちが、轍の上を、そろりそろりと移動していくのが見えるようです。 妙な生気を感じさせる砂丘です…
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美しい砂丘ともそろそろお別れです。 途中でしげる君、ほかの車が落としたスペアタイヤを拾っていました。 起伏が激しく、みな何かしら落としていくので、別の旅行社同志でも助け合う習慣なのだそうです。
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そしてふたたびティランジア・ランドを走り抜け…
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ティランジアの種がここに吹き溜まって、こんなに繁茂したのかしらん?? ミニミニ・ティランジアがぎっしり育っているのがわかりますか? 私もここに落としていってもらおうかな…
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舗装路に戻ったところで、空気を抜いてあったタイヤを調整するしげる君。 いや〜人の車で、人に運転してもらってオフロードって、最高ですね(*^_^*)
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あたりは、これぞナスカ!という風景です。 帰る星をまちがえ、途方に暮れる客人が写りこんでいます。
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しげる君とも再会を約して別れました。 明るくて誠実で、とっても良いガイドさんでした。
まだだいぶ日が高いですが、せっかく庭の広いお宿なので(広いも広い、何十ヘクタールという単位)、午後は敷地内でのんびりすることにします。
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ビクーニャがサロンの中を歩いていたりする、おもしろい宿です。
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プールサイドのビクーニャ。 ふつうありえない、世にもふしぎな光景…
ここで悲しいお知らせ… このビクーニャのカネラ君(シナモンの意、毛皮の色からの命名でしょう)は、今年2015年3月に不慮の死を遂げたそうです。
ペルーではビクーニャはとても厳しく管理・保護されているので、なぜここに一頭いるのかナゾでしたが、カネラ君はパンパ・ガレーラスで生まれてすぐ親から見捨てられたため、広い敷地を持つ当ホテルが依頼を受けて預かっていたのだそうです。
正式な飼育許可証もあるそうですが、今年3月、とつぜん許可証を出した当の役所からお役人が乗りこんできて、無理やり連れ去ったため、繊細なビクーニャはそのショックに耐えきれなかったとのこと… まだ3歳だったそうです。 ホテル側はもちろん厳重に抗議、だいぶニュースなどでも騒がれていたようですが、まだ責任者の処分などは決まっていないようです。
2012年に訪問したとき、ホテルの人たちが、それはそれはカネラ君を大事にしているのを見ましたので、なんとも悲しく思います。 カネラ君、次はぜひ、高地を思いきり走りまわれる、自由な運命の下に生まれて来ますように!
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すぐ近くに空港があるので、地上絵遊覧のプロペラ機の、ぷお〜〜〜ん…というのんきなエンジン音が始終聞こえます。 そのたびに飛行機酔いの苦しさを思い出し、「ごくろうさまです!」と空にグラスを向けては、ジュースで乾杯していると(pacollamaさんcalleretiroさんはもちろんビールですが)、いろいろな動物が呼ばないのにやってきます。
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孔雀をこの角度で見ることって、日常ではないですよね。
まったく臆さず近づいてくると、私たちの手の上のおつまみをつつきます。 炒りソラマメが好きなようです。 (孔雀では後日、ちょっと事件があってペット化計画は保留中ですが、やっぱり飼いたいなあ…)
この美しさで、しかし脚は恐竜そのもの… きっと恐竜も、かなり美しい生き物だったのでしょうね。
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今度はアルパカがやってきました。
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宿六はカネラ君(左端)に凝視されつつ、久しぶりの玉遊び。 アルパカ同様、ビクーニャもけっこう物見高いのね。
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このホテルは、綿花農園のお屋敷だったそうで(更にさかのぼると修道院)、古い大きな木がたくさんあります。 沙漠で過ごしたあと、こんな場所でくつろぐなんて、いいですねえ。
ナスカというと、地上絵(私はあんまり好きじゃない…)の印象しかありませんでしたが、今日一日ですっかり印象が変わりました!
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アシエンダっぽい家なら、まあ新築も可能ですが、こういう大きな木が並ぶ風情は、到底真似できませんね。 夕日が梢をあかあかと照らす風情がたまりません。
私がペルーに興味を持った1990年ごろなら、わずかな貯金で相当の物件が買えたはずで、先見の明がなかった当時の自分が口惜しや… ただ、こういう歴史ある地所には、見事な樹木のみならず、いろいろ余計なものも憑いてそうではありますね。
それにしてもこの広さ、樹木の立派さはうらやましいです! やっぱり家から敷地の境界がぜんぜん見えない、というのが理想ですねええ…
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ホテルのサロンは、地上絵ソファに地上絵ランプ。 ペルー在住者としましては、地上絵柄にはいいかげん飽きておりますが、ここまで徹底してるとなかなかいいですね!
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夜はナスカの町へ。 こういう昔ながらのお店(絵葉書や雑多のいやげもの、それにいつ作ったかわからない自家製ケーキなんかも並べているようなお店)も、ちゃんと生き残ってはいますが…
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大通りは、こんな風にぴっかぴかに変わっていて、仰天しました。 ナスカって、こんな町だったっけ?!
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きのうきょうと、あまりにすばらしいものを見過ぎて、私はおなかがすきません。 なので今夜は、これがいちばんおいしかったかも。
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おはようございます。もう旅の最終日となってしまいました。 出立前に、宿の立派なブーゲンビリアをぜひご覧になっておいてください。 幹のこの太さ、十年や二十年でここまで育つものではないですよね!
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もとは昔ながらの綿花畑だった、という宿のまわりも、今はほとんどウチワサボテンにかわってしまったようです。
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「プキオはあっち→」
そう言われるとあっちへ行きたくなります、あっちへ行けば、アルゲダスの世界です。 でもここから上ると、すぐにきのうのビクーニャのふるさと、パンパ・ガレーラス(低いとこでも標高3800m)ですから、高地に弱い私はたちまち逃げ帰ることになりそうです。
ボリビア、ラ・パスのエル・アルト空港(標高4061m)で悠々とタバコを一服なさっていた…とか、ティクリオ峠(標高4818m)でカップ酒を片手にニッコリ余裕の記念撮影、等々、あまたの伝説のあるpacollamaさんなら、ぜんぜんだいじょうぶと思いますが…
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…もし標識に従って、「あっち」に向かったとしますと、じきにこういう登り道が始まります。 どんどんどんどんどんどんどんどんアンデスの傾斜を登っていきます。
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そしてカネラ君の生まれ故郷、パンパ・ガレーラスを通過。 立ち止まると酸欠でグラっと来るので、早く通り過ぎたほうが良さそうです。
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更に進むといったん少し標高が下がって、遠くにプキオの街が見えてきます ああタルウィの紫の花が満開ですねえ。
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そして再び急な登りとなり、やがて広々とした高地平原に出て、縦横に駆け回るビクーニャやアルパカ、リャマに出会います…
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…と、このへんで妄想から目を覚まし、ナスカ大平原をつっきる、まーっすぐな道を参ります。 しっかりしてないと離陸しちゃいそうです。
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このままリマに向かってもいいのですが、旅の終りに、少し植民地時代にも寄り道してみよう、ということになりました。
ここは、ナスカのエル・インヘニオ地区にある、サン・ホセ教会。 (地上絵のマリア・ライヒェ博物館の近くです) 1744年にイエズス会によって創建されたこの教会、正面部分は立派に見えますが…
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中はこんな状態です…
地震のたびに徐々に壊れていって、ついには20世紀半ばの大地震で丸天井が崩落。 以来そのまま放置されているそうです。
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ところで、リマ市内サン・イシドロ区にあるビルヘン・デル・ピラール教会は、趣味のわるいセメント造りのネオクラシック様式のくせして(個人的見解)、中に入るとすばらしいバロックの飾り衝立があって驚かされますが、実はその出どころがこの崩れた教会なのだそうです。 そうだったのか〜!(旅から帰ってから知りました)
実に実にイエズス会好みの絢爛たる祭壇で、こんな天井の下にあるのがもったいないです。 (右の写真はwikipediaから臨時に拝借しております。 そのうち撮ってきますが、パチャカマックからは遠いので後日…)
イエズス会がペルーから追放されたのち、さまざまな人の手に渡ったサン・ホセ教会ですが、そのうちの一家族が、この飾り衝立を寄進してしまったようです。 (で、その同じ一家が、昨夜の広大なホテルの元の持ち主だそうです、大地主ってものには一度生まれてみたいですね…)
この飾り衝立は、首都の教会に寄進されたおかげで、今に伝わったわけですけど、よりによって煮ても焼いても食えないペルーの○人階層(失礼、でも真実だもん)が多いサン・イシドロ地区の教会とは……
今でもかつての奴隷の子孫たちが暮らす地元しては、複雑な思いでしょうね。 制作時には、自分たちのご先祖がさんざん働かされたに決まっている作品ですものね…
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乾いた空の青さと、ひっきりなしに聞こえてくる地上絵遊覧飛行機のエンジン音が、この場の空虚さや、歴史の皮肉、その他いろいろを、いっそう際立たせるようです。
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壁には創建年が記されています。 (ぜんぜん関係ないけど、博物学者のラマルクが生まれた年)
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1740年に礎石を置き、1744年に完成の旨、記されています。 (この字体、かなり好み…)
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このすばらしいバロックの廃墟を、それも貸し切り状態で眺めている今も今! インドの取引先のメールに「コンテナが行方不明でどうこう」と返信するヤカラが約一名………ありえない…
こやつはインカ道でも返信してました、幸いサン・フェルナンドでは電波が届かないようでしたが。 私もよく我慢しているなあと時々思います。
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左の写真の扉の上には、貝殻型のくぼみがあり、金箔で細かな模様がびっしり描かれています。
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「あ、七面鳥!」と、いま写真を見た宿六が申します。 キミは現地では見てないもんね。
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手の込んだ彩色が、あちこちの壁に残っています。
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古色のつきかたがたまりません…
某財団の「最も危機に瀕しているワールドモニュメント・ウォッチリスト」に、このあと訪ねるサン・ハビエル教会ともども載っているらしいですが、今のところ修復の予定は一切ないようです。
何もかも保存するわけにもいきませんから、この教会のように、美しく朽ちていくものがあっても、いいような気はします… 興味のある方は、次の大地震が来る前に、見ておかれたほうがいいと思います。
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この集落の、現在の教会。 ほんっと私はつまらない時代に生まれてしまったなあ。
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もうひとつバロックの教会があるそうなので、となりのチャンギーヨ地区へ向かいます。 途中、へんにきれいな、できたての舗装道に迷い込みました。 たぶん、村長さんのうちの前まで敷いてある道なのかな…と想像。 ペルーではよくあることなので。
たとえば現大統領ウマラの家は、私が前に住んでたアパートのすぐ近くですが、奴の当選後ただちに、その周辺の道が必要もないのに舗装しなおされたのには、もう大笑いでした。 (あちこち通行止めになって、住人としては大迷惑でした)
また今住んでいるパチャカマックでも、無駄に舗装された田舎道が一本あって、そのどん詰まりには前市長の家があるという話です。
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きれいな道につられて遠くまで行ってしまいましたが、綿花畑を見物してから引き返します。 綿花って楽しいですよね、まるで工場で作ったみたいな綿が、こうして顔を出すんですもんね!
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1746年12月25日に完成したという、チャンギーヨ村のサン・ハビエル教会。 遠目には、前の教会よりもずっと保存が良さそうです。
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…でもこのうつろな青い丸窓が、すべてを物語っています。
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いかにも植民地のバロック教会らしい、謎めいた飾りでいっぱいのファサードです。
羽毛の冠を頭にのせて口元をゆがめた、ふしぎな人面がたくさん配されています。 単にスペインの彫像を下手にコピーしただけかも?しれませんが、でもこういうのを見るとつい、地元のナスカ文明との関わりを想像したくなってしまいますね。
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サン・ホセ教会同様、こちらも丸天井は地震で崩れ落ちて、そのままになっています。
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壁に残る鮮やかな彩色。仕事に慣れた良い筆遣いです。
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聖水盤の一部。 この不気味さ、すばらしいです、これは何か憑いてそう。 暗い時刻には、ぜったい近づきたくない教会ですね。
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痛い、これは痛い… (明け方、おなかを空かせた猫二匹に起こされる私の自己イメージは、だいたいこんな感じ)
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まわりの建物も、由緒ありげに見えます。 たぶんかつての大農園の建物なのでしょう。
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誇らしげに掲げられたイエズス会の紋章。
イエズス会がペルーから追放されたのは1767年ですから、この教会が同会の下にあったのは、わずか20年あまり。 こんなに細部まで凝った作りの、それもまだ新しい教会を置いて去っていくのは、無念だったでしょうね。
イエズス会はその後息を吹き返し、1871年にはまた許可を得てペルーに戻ってきました。 でももちろん、かつて所有していたものはすべて(このナスカの二つの教会と荘園も)、別の手に渡っていましたから、ゼロからの再出発となったようです。
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それにしてもこのサン・ハビエル教会、さきほどのサン・ホセ教会から6キロほどしか離れていないのが、気になります。
今はあまり人の気配もないところなので、信じがたいですが、やはりこの一帯はそれだけ重要な荘園だったのでしょうね。 ペルーのイエズス会は、ペルー海岸部に所有する大農園でブドウ、サトウキビ、綿花などを栽培し、その上りを支えに、各地での伝道や教育活動を行っていたそうですから。
このナスカの二つの教会も、もとはそれぞれ大農園に所属しており、そこでは作物の栽培のほか、ピスコ酒やミサ用ワイン、教会には欠かせない木や石の彫刻などを作らせていたようです。
もちろん主な労働力は、コンゴやモザンビーク、アンゴラから連れて来られた黒人奴隷だったはずです。 今でも、さきほどの村エル・インヘニオには彼らの子孫が暮らしているそうで、ペルーでは珍しい長命を誇る人が多いのでも知られています。
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この味のある門も、アシエンダ時代の名残でしょうか。
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今回すっかり見直したナスカ、もはや離れがたいですが、やむなく北上を開始。
午後1時半、サハラ沙漠の南米派出所、パラカスに到着。あいかわらずナツメヤシが立派です。 パラカスでは、侵入直後のスペイン人が植えたナツメヤシが、まだ何本か生き残っている…という話です。
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パラカスの海辺のレストラン街は、津波被害のあと、作りなおされたようです。 以前の3,4倍、長くなっているように見えます。
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サラダと取りあえずインカコーラ。
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宿六が好きなconchitas a la parmesana(帆立貝のチーズ焼き)
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calleretiroさんご指定のchicharron de pulpo(揚げ蛸)
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chaufa de mariscos(海鮮炒飯)
プエルト・インカのチャーハンのおいしさには完敗ながら、これもじゅうぶんおいしかったです。
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ぽかぽかと日が照って、海辺で過ごすには最高のお天気。 ここであと数日のんびりしたいですねえ。
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ナツメヤシにはやはり青空が似合います。
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しかし車に乗ると、暑くて暑くて… 蜃気楼で道が溶けちゃってます。
それがいったん北へ向かうと、たちまち空がかき曇り、道行く人々も10分前までは半袖だったのが、みなセーター姿に変わります。
リマへの帰路、晴れていると西日が射してたいへんなので、とても助かります。 南北の魔女二名、要所要所で良い仕事しています。
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チンチャの料金所にて。わかりやすくて、ちょっとかわいい料金表。 わざわざ表にしなくても、すぐ計算できそうな気もしますが…
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同じ日じゃないみたいに曇った中を、リマに向かって一目散。
いつも思うのですが、この切り通し、ピラミッドみたいでいいですよね。 旅行ガイドさんの中には、「これも日干しレンガのピラミッドで」等々と、お客さんをからかうのに使っている方もおられるんじゃないでしょうか(私だったらぜったいそうします)。
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旅のさいごに、アイスクリームで破産〜♪
帰路は、チンチャでちょっと渋滞しただけで、たいへんすんなり。 チルカのOVNI(UFO)アイスクリーム店は5時閉店ですが、そこにも5時きっかりに滑り込みました。
この小旅行は、とつぜん公布された臨時の連休と重なったため、宿六は道中、どこのキャッシュコーナーに寄ってもお金を引き出せずにおりました(みんながこぞって引き出したためです、ギリシャならぬ当地でもよくあることです)
私は私でお金は持たない主義なので(だってペルーの貨幣って汚…)、それで私たちはたいへんふところが寂しい状態で旅を続けていましたが、ついにここで底をつきました。
リマのさいごの料金所では、とうとう通行料を支払う小銭すらなく… 「…すいません、calleretiroさん、3ソル貸して!」
ルクマのアイスクリーム三個なら、ぎりぎり通行料も残ったそうですが、四個買ったら足りなくなってしまったそうです〜 さいごのさいごまで、笑いの絶えない楽しい旅でした!
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旅のおみやげ、その1。 あのインカ道の、ほんの一部分。 カラシの壜に入れて大事にしています。
Sacacoでクジラを見損ねたのと、アマンカイの球根を頂戴しわすれたのだけが、今回の旅の心残りです。
歴史や食事だけでなく、ちょっとした気候や地形の変化まで楽しめるという、特殊技能をお持ちのpacollamaさんcalleretiroさんとごいっしょすると、ふだん見逃しているペルーのおもしろさに気付くことができ、旅の味わいがぐっと濃くなります。 私にとっては久しぶりの「国内旅行」でしたが、おかげさまで、ペルー見なおしました。
前に「ペルーって、一度にいろんな国に行ったような経験ができますね」とpacollamaさんがおっしゃいましたが、本当にこの短い四日間で、何カ国まわったかわかりませんね。 時代もまた、あちこち飛び回ることができました。
…そしていま、三年ぶりにじっくり思い出してみて、ますます楽しかったのも驚きです。 なかなかこういう旅はありません!
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旅のおみやげ、その2。 サンフェルナンドの貝殻。
種類はわずかですが、リマ近くの浜にはほとんど貝殻ってないので(豊かな海なのにどうしてなのでしょう?これはちょっと調べてみなくては…)、じゅうぶん嬉しかったです。 ヨメガカサみたいなのもありますね。懐かしい!
右の大きなのふたつは、calleretiroさんたちが「ぐい呑みになるかも?」と拾ってくださった貝。 漂白剤で洗ったらぴかぴかになりました。
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真珠層のあるクマノコガイ?は、こういうアクセサリーに化けました。
塩酸で黒い表面を溶かし、脆くなったところはガラス用絵具でちょいちょいっと補強。
(宿六に「塩酸買ってきて」と頼んだら、一瞬「えっ?」とひるんでました。 ペルーでは、過去によく、塩酸を使った傷害事件があったそうで… 私の恨みを買っているという自覚でもあるのかしらん?)
かくして真珠色に変わった貝を、贔屓の銀細工店に持っていき、指輪とネックレスに加工してもらいました。 身につけるたびに、あの青い青い海と磯遊びの楽しさを思い出します。 それから、わさびと柚子胡椒のことも…(^。^)
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