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…やっとこの、ものすごく印象的だった小さな旅のお話ができます。
2012年に、pacollamaさんcalleretiroさんとごいっしょした、ナスカとアレキーパの海岸部をめぐる三泊四日の旅のご報告です。
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朝6時、冷たい雨の中を出発。 この色合い良いですね、すでに旅情たっぷりですねえ。
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パンアメリカン道の途中に、新しいショートカットができてました。 (そのあおりで、パンアメリカン道沿いからはずれてしまったカニェーテの町は、ちょっと気の毒)
ほぼ無人の地帯に通された新区間は、まだできたてのぴかぴか。 でもまわりにはすでに、不法占拠と思われる小屋が無数に建っています。なんと素早い!
…大昔、宿六が日本の無償案件の仕事をしていたとき、リマ北部の沙漠地帯に港湾施設を作る話がもちありました。 しかし現地視察をした日本側は、「こんな人気のないところに港を作っても…」とたいそう心配していたそうです。 そこで宿六が、「な〜に心配ありません、工事が始まったらたちまち町ができますから!」と説明したのですが、日本人は「まさか!」と言って誰も信じてくれなかったとか…
「ペルー人っていいかげんを言うなあ」と思ったであろう日本人。 「日本人はあいかわらず頭固いなあ」と思ったであろう宿六。 私には双方の気もちがわかる…(笑)…でも少なくともこの場合は、ペルー人のほうが正しかったですね。
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途中チンチャにて朝食。大きなタマル(粗挽きトウモロコシを蒸した料理)や豚フライがどーんと出て来ます。 おいしかったですけど、パセリの一枚でいいから緑がほしいですね… (短期間のペルー国内旅行なら、パセリ持ち歩くのはありかも)
「すでに南への小旅行気分は味わったし、チチャロンも食べたし、納得した!リマに帰ろう!」 と、ご機嫌のpacollamaさん夫妻。 ま、せっかくなので、もう少しだけ南へ行ってみません?
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レストランの売店で、極彩色のケーキ群にしばしみとれます… これはベビーシャワー用ですが、毛布をかぶって眠る赤子をかたどったケーキを、切りわけて食べるわけ…?
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青色のケーキはなくてちょっと残念。
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口に入れて大丈夫な色ではないですね。
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イエスの前に膝まづく少女の前には、大きなコーヒー豆……なぜ? …あ、わかった、こちらでよく食べる「パン・フランセス」(フランス風のパンとは名ばかりの腰ぬけパン)のつもりですね。 聖体拝領のパンはこの形じゃないと思うんだけど、まあいっか。
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自然との共存をめざす、人類の努力のひとつの形?
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どんどん南下し、ピスコ・パラカスあたりにさしかかると、前触れもなしに、とつぜんすかっと晴れました! 本来、より寒いはずの南へ向かっていますが、このへんは沙漠なのでどんどん暑くなっていきます。
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久しぶりに南へやってきて、うちわサボテンの畑(コチニール採取用)がやたらと増えているのにびっくり。 以前多かった綿花畑は、もうほとんど見かけません。
綿花の国際価格が下がって、ウチワサボテンに商売替えする農家が増えているそうです。 (2012年の段階でのお話。2015年の今はどうかわかりません)
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トロピカル気分あふれる店構え。今朝、氷雨にふるえていたのが夢のようです。
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点在するオアシスをたどりながら、沙漠地帯をひたすら走ります。 どこにいるのか、わからなくなる風景です、またモロッコに来ちゃったみたいだなあ。
道路が非常によく整備されているのには、今さらながら感心。 首都たるリマ市内は(特にミラフローレスあたり)、あんなに穴だらけなのにねー
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対向車がナチュラルにこっちの車線を走っているのが、こわいです…
暑い暑い。
かっと日が照りつけるナスカで昼食をとり、さらに南下。 私はさっそく車酔いで、気分ときげんがあやしくなってきましたが、pacollamaさんに頂いたチューブわさびを試しになめたら、すぐに気分爽快に! 今後のために覚えておこうと思います、「ドライブにはわさび」。
いつもリマ市内で、赤い車が多いのをおもしろく思っていますが、さいきんはトレイラーまで赤ばっかりなんですね。 ペルーの人は「景気がいいと赤い車を買う」という傾向、確かにあるようです。 さっきから写真撮るたびに、赤い車が写ってます(意図的に選んだわけじゃないです)。
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やがて海辺に向かう道に出ると、行く手にあやしの黒雲が。 急に気温もすとんと下がります。
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きりなく思われるまっすぐな道の果てに、やっと見えてきたのは、沙漠のなかに広がる見事なオリーブ林。 数百年もののオリーブ樹で知られる、ヤウカYaucaの集落です。
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しかしオリーブって、こんな大木になるんでしたっけ?! たぶん地中海世界では、収穫しやすいように低く剪定しているのでしょうね。
このへんのは自由奔放に育ちっぱなしです。 夜になると、ヤウカのオリーブ林には悪魔が出没する、という伝説があるのですが、この黒々とした茂り具合なら悪魔も居心地良さそうです。
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ヤウカの集落もまた、アンデスから沙漠をつっきって流れ下る川のほとりに出来たオアシスです。 しかしこのヤウカ川、海のほうを見やっても河口がわからず、気になっていたのですが…
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Google earthでおもしろいことを発見。 季節によっては海まで流れがたどり着かず、海岸沙漠の砂中に消えてしまうのですね。 これはアンデスの雨季の初め、まだ川の水量が少ない12月上旬の写真です。
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同じくGoogle earthより。 アンデスの雨量がぐっと増える1月中旬には、ちゃんと海まで到達しています。なるほど!
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すぐ近くのTanaka海岸を通過。 むかしここに、田中さんという日本人船員が流れ着き、まもなく亡くなったのでタナカ浜と呼ばれるようになった……そうですが、どうもあやしいな。ケチュア語起源じゃないのかな…
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2012年9月
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2008年5月
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今日はざんねんながら(運転手の宿六にとっては喜ばしいことに)砂は少なめです。 右の写真のように、海から吹き寄せる砂で、パンアメリカン道が半分埋まっていることも珍しくない場所です。
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砂の音をお聞きください この調子でどんどん海の砂が陸に上ってゆき、それが広大な海岸沙漠を作っているのですね。
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さらに南下。 ここまではだいたい晴れていましたが、この先の道をまがると…
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風景は一転し、からっからの沙漠が、一面の緑に! あまりの風景の激変ぶりに、乗組員全員、声も出ず…… そうです、ついにLomas de Atiquipa(アティキーパのロマス)に到着です。 ここはペルー海岸部に残る、最大のロマス(沙漠の花園)です。
この季節に通るのは初めてなので、「パンアメリカン道からちょっとは緑が見えるかな?」と楽しみにしていましたが、ちょっとどころか……道じたい、ロマスのただ中を走っています。 さっきまで蜃気楼で濡れたように見えていた道路が、今度はほんとにしっとり濡れています。
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緑でいっぱいで、前に来たときとはまったく違う風景なので、ホテルへの入口がなかなか見つけられず、迷ってしまいました。 どんどん日も暮れて来て不安でしたが(人っ子一人、犬ころ一匹いませんし…)、なんとか日没前にプエルト・インカ Puerto Incaに到着。
今夜のお宿は、この小さな浜に立つホテルです。
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夕食は、波の音をすぐ間近に聴きながら…
前回おいしかったのが忘れがたい、lapas arrebozados(ラパ貝の衣揚げ) を注文。 良かった、ぜんぜん味は変わってません。
ラパ貝はアワビの子供みたいな貝で、歯ごたえがあっておいしいですが、分類学上はアワビとは無縁のようです。 calleretiroさんの表現では「とこぶしのから揚げ」。そうそう、それそれそれ!
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anticucho de pescado (白身魚の串焼き)
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pacollamaさんがお好きな、yuca frita(ユカ芋のフライ) ビールに合いますもんね。
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たいへん印象に残るおいしさだった、chaufa de pulpo(蛸炒飯)。
ペルー式炒飯は、中華屋chifaのはまず99%ハズレですが、海鮮料理専門店ではごくまれに、ものすご〜くおいしいのを出します、これがまさにそれでした。 なんともいえないうまみ(アジノモトじゃないうまみ)があるのですが、どうやってこの味を出しているのかなあ。
(写真だと盛りがわるく見えますが、添えられたきゅうり、直径6センチはあります…)
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真暗になると、波音がますます高まって、そうとうの怖さです。波打ち際の宿ですので。 「万が一にも地震があったら、すぐ駐車場に集合」と約束し、おのおの部屋に引き取ります。
この宿には水道がなく、海水を処理して使っているということなのですが…うーん、なにも処理してないんじゃないかな? 洗面台の蛇口から出るのも、シャワーから出るのも、もろ海水です。 海水で歯磨きは辛いので、持参のミネラルウォーターを使います。
ワラスで虫に刺されたというpacollamaさんcalleretiroさんは、この晩の塩水シャワーのおかげで腫れがおさまったそうです! たしかに虫さされには粗塩をすりこむといいのですが、その代わりになるほど塩分が濃いシャワーなんですね(^_^;) えもいわれない趣のある場所なので(歴史については明日お話しします)、いつか数泊したい気もしますが、長居をすると塩漬けになりそうです。少なくとも高血圧の人向きではありません。
明りを消すとますます波音が迫って来るようで、私は一服盛って、なんとか眠りました。 宿六は小説「レベッカ」の夢を見たそうです。海辺の小屋で奥さんを殺す話ですよ、おいおい……
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Google earthで見る宿周辺
おはようございます。 ここプエルト・インカは、さいしょはkotetsuさんから良いところだと伺って、プーノをめざす自動車旅行の途次、一泊したのでした。 今回は二回目です。
夏場には、アレキーパ市の人たちが大勢つめかけるそうです、季節はずれの今はし〜んとしていますけれど。
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そういう隠れ家的雰囲気はもちろんですが、プエルト・インカは歴史的にもたいへんおもしろいところです。
タワンティンスーユ(いわゆるインカ帝国)の交通網は、アンデス側の道(右図の赤い道)、海側の道(青)、そしてその両者をむすぶ無数の道(緑)で成り立っていたそうです。
そのロードマップに従えば、当時の首都クスコからもっとも近い海が、ここプエルト・インカなのですね。 おそらく海の豊かさや接近のしやすさ、またアンデスからの道の作りやすさなど、いろいろ検討した上でプエルト・インカが選ばれたのでしょう。
要はここは、インカさま御用達の魚介類卸商のようなもので、ラパやチャンケなどの貝類、イカ、タコ、ペルセベス(カメノテの近縁種、スペインのバルでおなじみ)、コチャユーヨ(海藻)などが採取され、そのあと干したり塩漬けにしたものを、リャマの隊商ではるばるクスコまで運び、また帰路は高地の干し肉やキヌア、ジャガイモなどを持ってきていたそうです。
土地の人のお話では、そういうリャマによる物資の行き来は、意外にもかなり近年まで(20世紀なかばくらいまで)は続けられていたようです。
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海岸部にいるとクスコはとても遠く思えるのですが、インカ道を描いてみるとたしかに近いですね。 昨晩食べたラパ貝も、クスコのインカが口にしたラパ貝の末裔だったかも…しれません。
プエルト・インカの鮮魚が、複数の飛脚(チャスキ)によって、たった丸一日でクスコまで運ばれた(だからインカも、ライム抜きのセビッチェの原形を口にしていたかもしれない???)、というお話もどこかで聞いたことがありますが、いくらなんでもそれは無理なんじゃないかな… 直線距離でも350キロ余、しかもじっさいには山あり谷あり、標高差だけでもたいへんな道ですものね。 それにそこまで急がなくても、ちょっと塩漬けにしていけば済むことですし…
実際にはどうだったのでしょう??
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ホテルのすぐ向こうには、インカ遺跡が広がっています。
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朝8時、荷物をまとめて宿を出発。
パンアメリカン道に出るあたりで、インカ道に詳しいガイドさんと待ち合わせです。 途中、斜面に作られたリャマの丸い囲いがいくつも見えます。 海産物を運ぶリャマたちの休憩場所だったのでしょう。
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今日案内していただくのは、アティキーパ在住のアンドレスさん。
この近くに、たいへん保存のよいインカ道があるということなので、全員張り切って歩き始めます。 今朝はしっとりと曇って、寒からず暑からず、明るすぎず暗すぎず、絶好のインカ道散策日和です。
(ま、本日は北半球と南半球の魔女が一堂に会しておりますのでね、空模様の操作くらいは朝飯前ということです)
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はじめのうち、はっきりとはわからないのですが…
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まもなく前方にこんな景色が…
くっきりと残っている石段と、その上の大きな道が見えるでしょうか? これは期待ができそうです! 石垣愛好会メンバー(pacollamaさん、calleretiroさん、私)、突如テンションが上がります!
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ナス科のNolanaの一種
この一帯は海岸沙漠ですが、谷底には水がたまりやすいのか、花が咲いています 野草愛好会メンバー(pacollamaさんと私)は、さらにハイに!
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谷を越えて丘に登ると、新しい景色が開けます。
ず〜っと向こうまで、まっすぐにインカ道が続いているのがはっきりわかります。 これは期待以上です! 左手が海で、右奥の雲がかかって黒ずんでみえる丘が、緑に染まったアティキーパのロマスです。
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アンデス地方のインカ道は石畳が多いですが、海岸沙漠の場合はざっと境目を石で示しただけ…と、どこかで読みましたけど、わーその通りじゃないですか!感激! こんな簡単な道もないですけど、当時はけっこう交通量もあったようですから、自然と踏み固められて道が保たれたのでしょうね。
またさすがに、石は風で転がされない程度には埋めてあるらしく、ちょっと触ったくらいでは動きません。 だからこそ使われなくなって数百年後の今なお、くっきりと沙漠の上に姿を残しているのですね。
古い道というのは、どうしてこう心をひきつけるのでしょう。 この広い道を、大きなリャマの隊商がしずしずと進んでいく様子が、ありありと目に浮かびます…
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インカ道を行軍する私たち。 (前方がアティキーパのロマス、左手が海です)
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石は、もともとあったものを使ったのかな。 邪魔な石を道の両側に寄せたら、それが良い目印になったので、じゃこれでいいかと工事終了?(想像)
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複数ある入江と結ぶためでしょうか、何度も道が交差したところを通ります。
また写真のように、同じ道でも二本にわかれているところもあります。 ガイドさんの説明では、飛脚などお急ぎの方は、右手の細く急な道を行き、気難しいリャマたちは左手の緩やかな道を行ったのではないか、とのこと。
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途中、この見事なインカ道が、ばっさり二つに切られています。 昨晩泊ったホテルが、建設時に勝手に通したという、私道のせいです。
プエルト・インカのホテルについては、「遺跡破壊と景観破壊の上、歴史ある入江を私物化している」等々批判も多いらしく、でもあれだけおもしろい立地でしかも食事がおいしいなら、存在理由はある…と思っていました。 でも、これはたしかにいかんですね。
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大きな石の間には、銀色に枯れた草と、黒い無数の種が吹きだまっています。 雨が降ると、たちまち芽吹くそうです。
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向かいの斜面に、保存の良い石段が見えてきました。
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まずこちら側の、崩れかけた急な石段をこわごわ降りて…
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やはり谷の底には草花が多いです。 これはナス科のExodeconus prostratusのようです。 この色…花ひとつに小宇宙がありますね…
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サボテンも花が咲き始めています。
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いま降りた石段を谷底からふりかえると、こんな感じ。 崩れかけている様子がよくわかります。
数百年間、手入れする人もなく放置されていたのに、よく形を留めていますよね。 またインカの人々の、どんな地形でもひるまずコツコツ道を通してしまう勤勉さにも、改めて感動…
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反対側のほうは、保存がもっと良いです。 歩きなれたガイドさんはすたすた行ってしまいますが、かなりの急傾斜です。
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登りつめたところから振り返ると、沙漠のなかに堂々たるインカ道が、くっきり浮かび上がって見えます。
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そのまま右手に目をやると、昨晩泊ったプエルトインカと、リャマの囲いが見えます。
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さらに進むと、岩の間に、実にいい感じに開かれた石段が見えてきました。
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(これはいつか絵に使わなくては!)
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石段を上って振り返ると、いつのまにか少し標高が上がっているらしく、プエルト・インカのとなりのチャラのほうまで見えています。
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アティキーパのロマスもだいぶ近づいてきました。
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数分歩くと、また次の石段です(つまり谷間をいくつも越えているということです)。
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ここを上って、また振り返って、大感動! できるだけまっすぐに通すことを旨としたというインカ道の、みごとな見本です。 「振り返るたびに、よりすばらしい景色になっているなあ!」とcalleretiroさん。
これだけの眺めなのに、あたりにはだれもいなくて、インカ道貸し切り状態というのもすばらしいことです。 しかしそれは、大事な遺跡がまるで管理・保護されていない、ということでもあります。 この道の上で車を乗り回すような不届き者も(おそらくリマからやってくるバカモンでしょうが)残念ながらいるのだそうです…
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徐々にロマスに近づくにつれ、地中の水分も増えてきて、草花も種類が多くなりました。 これはしっかり木化しているオキザリス(Oxalis micrantha)。
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花崗岩の割れ目から伸びる、トマトの野生種の花。
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ゆるゆると上り坂になってきたので、ここでふりかえると、またがらりと景色が変わっています。 遠くの海岸線まで見渡せるようになりました。 そろそろこのへんで、はっきりと跡をたどることができるインカ道とは、お別れだそうです。
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この丘で、思ってもみなかった出会いがありました! 白いアマンカイの花です(Zephyranthes albicans)
パチャカマックやラチャイのアマンカイは、黄色いヒメノカリスですが、このへんではゼフィランサスの一種のこの花をアマンカイと呼ぶそうです。 リマには黄色いアマンカイしかない、と話すと、ガイドさんはびっくりなさったもよう。
昔はリマ周辺にも白や紫のアマンカイがあったそうですが、白はゼフィランサスだったのかな…?
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インカ道を進むほどに、アマンカイだけでなくヘリオトロープの茂みも現れ始めます。
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白いアマンカイと海。
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海霧が小雨となって降るロマスから、じわじわとしみ出す水は、意外にもけっこうな量のようです。 スペイン人侵入後、ロマスの緑が激減したあとは、その貴重な水がワイコ(土砂崩れ)となって流れ下ることも珍しくなく、それが遺跡破壊にもつながっています。 これもごく最近のワイコの跡だそうです。
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ペルーにはとても種類が多い、オノセリスの一種。 Onoseris odorata
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アマンカイの群生地もあちこちにあります。
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明らかに人の手で切られた石。 階段の踏み石を切り出したのでしょうか?
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地面がしっとり湿って、今朝歩き始めたあたりとは、まるで違う色になっています 濃い緑の小さな茂みは、すべてヘリオトロープ。 粉っぽいような独特の香気がたちこめています。
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湿って鮮やかなオレンジ色になった地面は、まるで土のように見えますが、乾くとさらさらの砂に戻ります。 赤みを帯びた花崗岩のかけらが、主な成分のようです。
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今日見かけたヘリオトロープは、すべて白。 Heliotropium peruvianum
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Spergularia fasciculata
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見目麗しきオノセリスの騎士ら、枕を並べて討ち死にの図。
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オオバイチビ(Abutilon grandifolium)?
地面の湿り気が増すにつれ、花の種類もどんどん増えて、野草愛好会の二名のみ、つねに行軍から遅れ気味ということに…
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変なものお目にかけてすみません… からっからに乾いた家畜のフンがときどき落ちているのですが、律義にひとつのこらず、同じキノコが生えているのが笑いを誘います。
calleretiroさん「これ味噌汁にいいんじゃない?」いえいえ、いえいえ…
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アオイ科のPalaura trisepala
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インカ道らしい石の印は見当たらなくなりましたが、ガイドさんに従ってどんどん行きます。 右手の電信柱はパンアメリカン道です。 前にも何度か通ったのに、まさかこんな近くにインカ道が残っていたとは!!!
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男性陣はすたすた先に行ってしまうので、野草愛好会の女性だけが見たかわいいミニカボチャ(ミニキュウリ?)
あとで調べてみると、エチオピア原産の薬用植物だというCucumis dipsaceusにそっくりなのですが… ペルーで市販されているのは見たことないので、誰かがわざわざインカ道に持ち込んだとも思えず… そうすると他人(他カボチャ)の空似なのでしょうか?謎です…
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ふと気付くと、一面の段々畑の跡を歩いています。 (花の写真を撮るのにマクロレンズがほしいのに、荷ロバの宿六は、はるか彼方…うーむ使えない荷ロバだこと……)
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Google earthで見て不思議に思っていた、この無数の細い線、やはり段々畑だったのですね! ロマスに霧雨の形で降る水を、とことん利用しようという、過去の人々の強い意志を感じます。
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ほとんど傾斜のないところでも、こんなにしっかり盛り土をしてあります。 奥に広がる緑のロマスから、まっすぐここまで水を引いた水路の跡も残っています。
土止めは不要なゆるい傾斜ですから、おそらくは貴重なロマスの水が畑ごとにしっかり留まるように、わざわざ段々畑にしたのではないかと、ガイドのアンドレスさんは言います。 この一帯には、同じような耕作地跡が、少なくとも2600ヘクタールに渡って広がっているそうです!
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いま作物のかわりに、段々畑を覆うのは、数ミリのこの小さな花です。 パチャカマックのロマスにもたくさんあるので、ペルー原産種かと思っていたら、どうやら地中海原産のオランダフウロ(Erodium cicutarium)らしく…なんてこった…
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さて左手には、Jihuayの浜が見えてきました。 波打ち際のすぐ近くまで段々畑が作られています。 今では沙漠化しているこの一帯で、かつてどれほどの生産力があったことでしょう…
丁寧に作った段々畑が放棄された理由は、おそらく例のお決まりの悲しいお話なんでしょうね。 スペイン人が持ち込んだ牛と羊のために、ロマスの緑が荒らされ、また燃料として木々も伐採されたため、ロマスから供給される水の量が著しく減ってしまい、その結果、下に広がる段々畑での農耕もできなくなる…という…
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ふたたび谷にさしかかります。 向かいの斜面にうっすら見えるインカ道、あそこを歩くのだそうです。 すでに時刻は午後1時、おなかも空いてきました…
今日は3時間ていどの散策のつもりでしたが、もう4時間も歩いています、この先いったいどこまで歩くのやら?
しかし時間がよけいにかかっているのは、野草の会が一歩ごとに立ち止まるせい… 当然の結果として、常にガイドさんは声の届かない前方を歩いていて、質問もできず、よって歩き続けるしかない…ということになります(笑)さあ歩け歩け!
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空腹を抱えてこの急斜面に挑むご褒美は、アマンカイの大群生! あとでアンドレスさんが自宅の奥さんに、「今日はアマンカイがすごいたくさん咲いていたよ!」と興奮気味に話してましたので、地元的にも見事な満開だったようです。神様ありがとう〜
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(ここは保護区じゃないし、こんなにたくさんあるし… 1,2本球根ごともらってこなかったのが、3年たった今でもちょっと悔やまれます…)
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けっこう深い谷です。 さすがの野草友の会も若干無口になってきましたが、アマンカイに励まされつつせっせと歩きます。
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急傾斜のアマンカイ、見飽きません!
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丘の上に出ると、Jihuay浜が全部見えます。 波打ち際のすぐ近くまで、ずっと段々畑が続いているのがわかります。 今では完全に放棄されている畑ですが、これもう利用できないものかなあ??
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農作物はなにもないけれど、場所によってはアマンカイ畑になっています。 白い点々に見えるのがアマンカイの花です。
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左手のJihuay浜に向かう、それとわかるインカ道があります。 も、もしかしてあれを全部歩くのかな……
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…と心配していたら、そっちじゃなくて、前方の崖の上に見える石段を上るのだとか! ほとんど崩れてるんですけど…大丈夫なのでしょうか。
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この斜面も、アマンカイに励まされながら歩きます。こんな風景、人生で初めてです! 天国の端っこまで迷い込んでしまったようです。
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小鳥の羽毛のような、ささやかな花も咲いています。 ヒユ科(アマランサスの仲間)のAlternanthera pubiflora
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ここは、けっこう本気で急です… でもやっぱりチャスキ(インカ時代の飛脚)は、かるーく走り抜けたのでしょうね。
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上りつめて振り返ると、谷向こうの歩いてきた道が見えます。 インカ道が崩れないように積まれた石がわかるでしょうか? 本当にインカの人たちというのは………
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このあともまだしばらくは、段々畑(の遺構)の上を行きます。 ああこんな風景って、ほんとうに見たことない!
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畑の段々が銀色に際立って見えるのは、こんなふうにチリチリに枯れた草が、くぼんだ所に吹き寄せられているからです。
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昔の人が狙った通りに、今もきちんと、ロマスの水が溜まるべきところに溜まり、野の草がそこで繁茂しています。 手仕事をいとわないインカびとたちの、なんとも勤勉な夢の跡。
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そして午後2時過ぎ、ついに舗装された道へ出ました。 嬉しくもあり、時をさかのぼる夢から醒めたみたいでさみしくもあり。
沙漠や荒れ地を通ることが多いペルーのパンアメリカン道も、ここではロマスの緑と豊かな海のあいだを走っています。いいところですねえ。
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舗装道を歩き始めると、すぐに「アティキーパの町まで2キロ」と書かれた看板が出てきました。 「あとまだ2キロ歩くんですって〜」と冗談のつもりで言ったのですが、まさか本当にそうなるとは…
アンドレスさんは、そのへんの納屋からバイクを取り出すと、「すぐそこですから、みなさんは道なりに歩いて来てくださ〜い!」と言い残し、走り去ってしまいます。 たぶん、アティキーパで預かってもらっているうちの車で、すぐに迎えに来てくれるのだろうと、全員心の中で期待していたのですが………
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人家は2キロ先まで見当たりません。 アンドレスさんが戻ってくる気配もなく、やはりアティキーパの町まで歩かないとならないのでしょうか。 奥のロマスとまわりの耕作地、すべて緑で風景がすばらしいので、歩くのはさほど苦になりませんが、しかしおなかが空きました…
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見事なオリーブ林が見えてきました。 かなり年季が入ったオリーブのようです、スペイン人の遺産ですね。 (いつか余裕のあるときに、譲ってもらえるオリーブの古木を探しに来たいです!)
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オリーブ林の上は自然のロマスで、黄色いオルティーガの花が満開です
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町の入口まで迎えに来てくれた、ピラタ(海賊)君。
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道沿いに広がっているアンドレスさんちのオリーブ畑を、ちょっと見学。 (あとで自家製のオリーブ油を少し買って帰りましたが、まさにオリーブの新鮮な絞り汁、あらゆるものにかけて楽しんでおります)
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午後2時半、やっとアティキーパの町に到着〜! 空気がしっとりとして、雨季のアンデスに来てしまったようです。こんなに海から近いのに…
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ロマスの借景がすばらしい、うらやましすぎるアンドレスさんのお宅。
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ここで今日歩いた道をおさらいしてみましょう。 アティキーパまでの余計な?2キロを入れて、12キロ弱のお散歩でした。
さわやかな冷たい空気と、きれいな花々のおかげで、思いがけず歩き通すことができました。 かつてTumbesと現在のチリのSantiagoあたりを結んでいた海岸部のインカ道の、わずか10キロとはいえ自分の脚で歩けたのは、本当に満足です。 晴れても降っても、とても歩けなかったろうと思いますが、うす曇りのきょうは絶好のインカ道散策日和でした。
(ペルーの文化庁は長年インカ道(Qhapaq N~an)を調査していますが、この区間を踏査したのはやっと2014年になってから。 そのニュースを読んだときは、私たちのほうが先に歩いたよ!と、ちょっといい気分でした)
それにしてもパンアメリカン道、インカ道にあまりにも近いです。 このすばらしいインカ道の上に敷かれなくて、ほんとうに良かったです。
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みなさまお待ちかねのお昼は、あらかじめアンドレスさんにお願いしておいた、豚の煮込み料理、アドボ。 よく歩いたのでしみじみおいしいです。ごはんも上手に炊けてます。
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食後には、自家製マンハールブランコ(キャラメルクリーム)と、庭木からとったばかりの枇杷の実。
今までペルーでおいしい枇杷に当たったこと、なかったのですが、これは驚きのおいしさでした! たいてい枇杷って大味なものですけど、アンドレスさんのは酸味と甘みのバランスが絶妙です。 見た目は小粒で地味なので、さいしょ興味を示されなかったpacollamaさんcalleretiroさんも、「こ、これは…」と唸っておられました。
子供のころ、代官山のうちにあった枇杷(「駄犬プチを根元に埋めたからおいしい」という哀しい言い伝えのあったあの枇杷…)を思い出させるおいしさです。 (いつか庭を持ったらぜったい枇杷を植えようと、このとき固く決意…)
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お人柄もパステルカラーのセーターもチャーミングな、アンドレスさんのお舅さんが、いろいろお話を聞かせてくださいます。 年季の入った立派なオリーブばかりの、それも広大な林を所有する、たいへん幸せな方です。 ご自分でも「この土地を相続できて幸運でした」とおっしゃっていましたが、ほんとにうらやましいです。
お話の中に、アティキーパに関する統計数字がポンポン出てきて、もしかして元学校の先生かな?と思ったのですが、実はここの市長さんを長年務められたんだそうです。
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少し小雨が降り始め、しんしんと冷えてきました。 この湿気のある冷え込みぐあい、雨の日のアトラス山中を思い出します… アンドレスさん宅で飼われているロマスの灰色キツネ君も寒そうです。
このキツネ君は、ときどきロマスに逃げては、また近くまでのこのこ餌をもらいにやって来るので捕まえる…の繰り返しだそうです、犬みたいに慣れています。
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そのまま居着きたいようなけっこうなお宅でしたが、しかたなくアンドレスさんと別れ、ふたたびパンアメリカン道へ戻ります。 物悲しい空模様に、今日はこのままナスカまで、薄暗いドライブになるかなと思っていましたら…
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あれあれ、10分と走らないうちに、晴れてきました! そうですよね、まだ午後4時過ぎだもの、明るいわけです。
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白いヘリオトロープが咲き乱れる芳しい野の上に、虹がかかりました。 虹はインカの旗じるし。 インカ道を歩いた今日に、実に実にふさわしいです。
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名残り惜しいロマスは、じきに後方に消え、いつもの乾いた荒れ地に入ります。 そしてアティキーパを出てわずか20分後、Tanaka浜が近づくとこんな上天気で、窓を閉めていると暑いほど。 さっきのあの冷え込みは、いったいどこへ……?
旅行前、持っていく衣類に迷って、まずアティキーパのアンドレスさんに電話すると、「ものすごい寒いです、毎日しとしと降ってます」との返事。 次いでナスカのホテルに電話すると、「今年はもう夏が始まりましたよ、朝9時10時にはすかっと晴れて暑いです」とのことで、ますます荷作りに困ってしまいましたが、要するにみなさん、ほんとのことを言ってたのね…
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何度見てもみごとな海岸沙漠。 (わざわざモロッコまで行かなくても良かったかも)
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お〜海が青い! インカ道から見た同じ海は、あんなにくすんだ色だったのに。
(リマ在住者は、海が青いだけでとりあえず喜びます。 「これで青い海は見おさめですからね、写真撮っといてくださいね」と一人で騒いでいましたが、しかし翌日またさんざん見ることに…)
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この山なみ、calleretiroさんが「火焔山」と命名。
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とするとこちらは、ペルーのタクラマカン沙漠でしょうか? 後部座席からは、「白骨をもって道しるべとなす…」というつぶやきが聞こえてきます… このへんだと道しるべも、きっとリャマの白骨ですね。
「ペルーって一度にいろんな国に行ったような経験ができて、とってもお得」とpacollamaさん。 本当に、なんとまあ気温と空模様と風景の変化が激しいコースでしょう。
さっきの湿度100%近いロマスの世界から、20分後にはこの沙漠。 この変化に、身体がぜんぜんついて来ていません。
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常に海から陸へ吹き上げるミニ砂嵐の中を、ナスカへ向けてひた走ります。 (逆光でわかりにくいですが、このトレーラーも赤いわ…)
とにかくペルーは広いので、相当にスピードあげてがんがん進まないと、一向に前進していないような錯覚にとらわれます。
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そしてまたまた、雲行きがあやしくなってきました。 湿り気を帯びた寒風が吹きすさんでいます。
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途中ちょっと横道に入り、Sacacoに寄ります。 ここはかつて浅い海だったところ。 数百万年前のクジラなど、大きな海洋生物の化石が地表に露出しているのを見られるはず…なのですが、もう夕方5時、残念ながら博物館は閉まっていました。
野外にも巨大な化石が点在しているはずですが、身を切るような冷たい風(もちろん砂混じり)がふきつけて、それはもう風に全身で寄っかかっても倒れないほどの強風で、歩きまわって探す気にはなれません。
「ここまでなんにもないところって、それだけで見ものだから〜」と慰めてくださったpacollamaさん、どうもありがとう〜(涙)
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ほんとうは、こんなクジラの化石が見られるはずだったのです… まあ旅の予定は、少しずつ取りこぼすものがあったほうが、また次につながりますから、これでいいのですよね。
(この写真は、MUSEO DE SACACOさんのページから無断拝借しました。 必ずまた(日中の時間帯に)行きますのでお許しを)
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このあとしばらくは、霧のかかった寒々しい風景の中を走り、でもナスカに近づくと青空が広がり、きれいな夕焼けまで見えました。もうなにがなんだか…
夕方のこういう眺め、たまらなく旅情をかきたてられます…。
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そして着いたところは、リゾートっぽいこのお宿。 夕食時には、ナスカの地上絵見物でわくわくしている諸国からの客人を、やや上から目線で見やりながら、
「あ〜なんか、ひさしぶりに観光地に来た、って感じですね〜」(calleretiroさん)
などと余裕の発言をかましつつ、楽しく夜は更けていったのでした。 (だって私たち、地上絵は20年以上前に、いちおう卒業?してますもんね。ふっふっふ)
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さて、今日見損ねたSacacoの化石ですが… せめてリマ市内の博物館での展示をご紹介しておきます。
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Sacacoの北西のOcucaje出土、約900万年前のサメの化石。 軟骨まで残っているのはたいへん珍しいそうです。
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巨大ペンギン(Spheniscus urbinai)の化石 Sacaco出土、約900万年前 体長約1メートル
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このSpheniscus urbinaiと、子孫のフンボルトペンギン(日本の水族館にたくさんいます)との比較図。 ほぼ皇帝ペンギンくらいの体長ですが、頭部がぐっと大きいため、ものすごい存在感ですね〜
ついでながら2008年には、パラカスでもっと巨大なペンギンInkayacu paracasensisの化石が発見されて話題になっていました。 体長150センチ、体重は推定で54〜59キロ。 立ってペンギンと向かい合って、ちょうど目が合ってしまうというのは、恐ろしかろうと思います…
しかもその化石は、羽毛まで残っていたので、翼と腹部が茶色だったこともわかったそうです。 燕尾服ではなかったのですね。
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Ocucaje出土の、甲羅まで残っている貴重なウミガメ。 子孫(現在のウミガメ)の倍ほどの大きさだそうです。
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Sacaco出土 約500万年前の「アザラシ」!の化石
どういうわけか、「ペルーの海にはたくさんアザラシがいる」と勘違いなさってる日本の方が多いのですが(ペルー人もよく混同しますが)、ペルーに現在生息しているのはオタリアで、アザラシはいません。
おおざっぱに言うと、オタリアはアシカの親戚で、首をもたげて前進したり、前のヒレで拍手するといった芸当ができるほう。 アザラシは芋虫のようにごろごろしているほうです。
…そこでこの化石の存在がおもしろいわけです、大昔には当地にもアザラシいたんですね。 約200万年前にアザラシがいなくなると、入れ替わりにオタリアがやってきたらしいです。
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Sacaco出土 約800万年前のクジラの化石
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Antonio Raimondi も、かつてSacacoでクジラの化石を目撃、このようなメモに残しているそうです。
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